「卓球=私」やから

 しかし今、予期せぬ苦境が別所さんを襲っている。

 実は2018年夏から短期間に3度の交通事故に遭い、ひざと背中を痛め、秋以降の国際大会を棒に振っていた。ランキングからはずれ再びゼロから積み上げないといけなくなった。

 現在も右足に力が入らず、ラケットを握る右手もしびれが残る状態だという。命を落としていたかもしれない危険に遭遇し、身体も万全でない70代の人間なら、普通は「もうあきらめよう」と考えるだろう。けれど彼女は「いろんなことに対して負けたくない」と戦い続けようとしている。

「自分から卓球を取ったら何も残らへん。“卓球=私”やから、何事も乗り越えないといけないんです」

 前へ前へと突き進む母の姿に長男・勇人さんは少し複雑な心境をのぞかせる。

「車イスの人は血栓ができやすいと聞きますし、心臓発作になったらと思うと不安です。70過ぎの母が卓球に携わるのは障害者の希望でしょうけど、息子としてはもろ手を挙げて賛成とは言えない。指導者として東京を目指すのなら大歓迎。そうしてくれたら僕はパラを見に行きます」

 心配性の兄とは対照的に、次男・将人さんは「やれるところまでやったらええやん」と力強く背中を押す。

「北京のときはいちばん下の娘が生まれる前で連れて行ってあげられなかった。今、小学4年生になった娘は母の血を引いて運動能力が高く、柔道の軽量級で全国大会に出るレベルまで来たんです。来年夏に東京で開かれる全国大会に娘が出て、母も9月のパラに行ってくれれば、最高のシナリオ。次こそメダルを取ってほしいです」

 親友・椿野さんも「あの人なら絶対にやれる」と太鼓判を押す。

 早すぎる伴侶の死、自身の大病、車イス生活というさまざまな困難を乗り越えてきたタフなメンタリティーは間違いなく常人離れしている。この先も自分の道を貫いていけるはずだ。

「卓球をやるようになって、外国人を含めた大勢の人と関わりができて、世界が広がり、人生が大きく変わりました。そういう意味で、卓球に感謝しています。輸血してくださった方、スポンサーさんなど応援してくれる方々の恩に報いるためにも、やれるところまではやり続けたいんです」

 別所さんの強く逞しい生き方は、前向きになることの大切さと素晴らしさを、われわれに教えてくれている。人はいくつになってもキラキラ輝ける。彼女の挑戦に終わりはない。

荒川翔一コーチと東京パラリンピックを目指す 撮影/齋藤周造
荒川翔一コーチと東京パラリンピックを目指す 撮影/齋藤周造
【写真】バイクにまたがる20代の別所さん、福原愛さんと笑顔のツーショットほか

取材・文/元川悦子(もとかわ・えつこ)'67年、長野県松本市生まれ。サッカーを中心にスポーツ取材を手がけ、ワールドカップは'94年アメリカ大会から6大会連続で現地取材。著書に『黄金世代』(スキージャーナル社)、『僕らがサッカーボーイズだった頃1・2』(カンゼン)、『勝利の街に響け凱歌、松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)