「パパ、パパダンス。パパ!」

 ビデオの中で、そう歌いながら踊る娘の姿を愛おしそうに見つめる高橋ジョージ。普段は強面の高橋も、このときはひとりの父親だ。

 かつて芸能界を代表する“おしどり夫婦”と呼ばれたが、'15年に三船美佳との離婚裁判が明らかとなり、一転して“モラハラ夫”のレッテルを貼られた。'16年に協議離婚が成立。18年間に及ぶ夫婦関係に終止符が打たれた。

 高橋が、8月16日に放送された『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に出演し、今年3月に5年ぶりに娘と会えたことを明かした。

 高橋に取材を申し込んだところ、「真実を書いてくれるなら、全部話しますよ」と快諾。取材に応じた高橋は、ゆっくりと語り始めた。

“反抗期”を受けとめられて嬉しかった

「今年4月に財産分与の調停も合意し、美佳さんとの係争は全部終えました。ただね、協議離婚したときの和解調書には《和解成立後、1年以内をめどに面会交流をできるように努力する》と書かれているのに、まったくなかった」

 財産分与の調停で、娘に会わせてくれなければ合意しないと主張したという高橋。

2度と会えないかもしれないと思っていたのが、やっと会えると決まって、娘が生まれた瞬間と同じくらいうれしかった。ドキドキしながら、大阪へ会いに向かいました

 待ち合わせ場所にやってきた娘は14歳になっていたが、上下ジャージ姿で大人用の長財布を片手にしていた。

店に入って来るなり“コーラ、自分で払うから”って言う。“あんたを父親だなんて思っていない”と反抗的でした。ただ、美佳さんは娘の反抗期を全部、受け止めた。5年ぶりの俺に2時間でも反抗してくれてうれしかったですよ。双方の弁護士が近くの席にいましたが、自由に話せました

 そもそも“おしどり夫婦”が突然、離婚劇へと発展したのはなぜか。高橋によると、  '13年7月が始まりだった。

美佳さんの体調がすごく悪くなったんです。だから心療内科に娘と3人で行きました

 一向に改善しないまま、10月に入ったところで、三船からこんな提案が。

「“大阪で部屋を借りてもいいかな”と。美佳さんは大阪で3本レギュラーを抱えていましたし、俺はそれで楽になるならと承諾しました」