『ルビーの指環』特注グッズでお祝い

 番組では1位のお祝いに歌手の望みを叶(かな)えたり、趣向を凝らしたプレゼントが贈られたりすることも多かった。愛煙家だった寺尾聰が『ルビーの指環』で3週連続の1位を獲得した'81年4月23日には、パッケージに寺尾の似顔絵があしらわれた特製タバコ500箱がプレゼントされている。

寺尾聰さんは当時『ハイライト』という銘柄を好んでいらしたので、専売公社(現JT)にお願いして、特別パッケージのハイライトを作ってもらいました。作製に時間がかかりますし、まさかあれだけ長期間1位を獲得するとは予想できませんでしたから(最終的に番組最長の12週連続1位を達成した)、“納品されるまでは1位でいてくれよ”と、気が気じゃありませんでした(笑)」

「リクエスト重視」「追っかけ中継」「豪華セット」など、従来の音楽番組の常識を覆(くつがえ)す発想で圧倒的な人気を獲得した『ザ・ベストテン』は、松山千春が『季節の中で』でテレビ初出演を果たした'78年11月16日に初めて視聴率30%を突破。'81年には年間51回中50回で30%以上を記録し、同年9月17日には、最高視聴率41.9%をマークした。

今では考えられないことですが、当時は視聴率が30%そこそこまでに“下がる”と上司から“演出が悪かったんじゃないか”と叱られて(苦笑)。注目が高まるにつれ、事務所からの売り込みも激しさを増しましたが“ランキングは絶対にいじらない”というベストテンイズムは曲げませんでした」

 しかし、盤石の強さを誇った『ザ・ベストテン』も家庭用ビデオが普及した'80年代後半に入ると、視聴率は徐々に低下。個人用のステレオやウォークマン、テレビなどで音楽を聴くようになって、国民的なヒット曲が生まれにくくなったことも背景として挙げられよう。そして元号が「平成」に変わった'89年9月、番組は第603回をもって、11年8か月の歴史に幕を下ろした。

「担当した約10年間、いろんなトラブルやハプニングがあって、毎週お祭り状態でしたが、生放送のいいところは木曜22時になれば何があっても終わること。本番が終わったら、すぐに次の放送に頭を切り替えることができました。今振り返ると、番組の成功は司会者の力に負うところが大きいですね。進行が押してあと5秒しかないような場面でも久米さんがうまくまとめてくれましたし、黒柳さんには番組の顔として最後までご出演いただけた。本当に感謝しています

(取材・文/濱口 英樹)


【PROFILE】
宇都宮荘太郎 ◎1953年、東京生まれ。早稲田大学ではモダンジャズ研究会に所属し、全国各地で演奏活動を行う。'77年、TBSに入社。ラジオ制作を経て'79年より『ザ・ベストテン』を担当。日本レコード大賞、東京音楽祭などの音楽番組や、『そこが知りたい』などのドキュメンタリー番組を中心にディレクターやプロデューサーを歴任。TBS退職後はNPO法人『音楽のすゝめ』の理事などを務める。


【INFORMATION】
伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』1982年5月6日放送回
9月24日(木)午後9:00 CS放送 TBSチャンネル2にて放送
今後も伝説回・神回を放送予定!
ご視聴のお問い合わせは、TBSチャンネルカスタマーセンターまで
電話:0570-666-296
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/special/the_bestten/