『ザベストテン』第141回の進行台本 提供:宇都宮荘太郎 (c)TBS
『ザベストテン』第141回の進行台本 提供:宇都宮荘太郎 (c)TBS
【貴重写真】『ザ・ベストテン』進行台本やC-C-B、小泉今日子のステージセットデザイン図を公開!

生演奏・生歌を徹底し現場は“超真剣”

 こうした演出は、ときには未明まで及ぶ構成会議を経て、その回の担当ディレクターが決定。並行して美術デザイナーとセットの打ち合わせを行ない、スタジオに来られない歌手については、中継の手配も進めなくてはならなかった。台本は前週の金曜日に準備稿、放送3日前の月曜日に改訂稿、放送前日の水曜日に決定稿と毎回、3種類を作成していたという。

「サプライズがある際には、さらに『別冊台本』を用意して、当事者の歌手には決定稿を見せないように工夫していました。田原俊彦さんが『哀愁でいと』で初めて1位になったとき('80年8月28日)は、ドラマ『3年B組金八先生』の同級生たちがお祝いに駆けつけたんですが、田原さんには本番まで秘密。リハーサルなどで両者が鉢合わせしないよう、細心の注意を払いましたね」

 放送当日の木曜日は、本番が始まる9時間半前の午前11時30分から、カメラを使わないドライリハーサルを開始。14時から音合わせが始まり、このタイミングで約40名のビッグバンドがスタジオ入りしていた。スタッフはGスタだけで約120名(バンドを含む)。中継が入るとさらに膨らんだ。現在の音楽番組ではカラオケの使用と口パクが盛んに行なわれているが、『ザ・ベストテン』では生演奏、生歌が原則。その真剣さと熱気がブラウン管越しに伝わったからこそ、多くの視聴者の心を掴んだのだろう。

「八神純子さんや久保田早紀さんなど、自前のバックバンドと一緒に出演される方は、セットでバンドの姿が見えない場合でも、必ずGスタで生演奏をしていました。中継の際も、あらかじめGスタでビッグバンドが演奏したオケをもとに歌っていただいたんです。それは、歌手が持ち込むレコードと同じ音源のカラオケを使ってしまうと音がビビッドでなくなるから。“生放送なんだから生を重視しよう”という、我々のこだわりがあったんです」

「追いかけます、お出かけならばどこまでも」。この合言葉のもと、ベストテン入りした歌手を全国どこでも追いかけて、その場で歌ってもらうのも『ザ・ベストテン』の魅力だった。放送初年度の'78年7月6日にはニューヨークからの衛星生中継も敢行。通信環境が今とは比較にならないほど脆弱(ぜいじゃく)だった当時、報道以外の番組で海外からの生中継を実現させたことは大きな反響を呼んだ。

「番組が始まったころは国内中継でさえ、そう簡単にはできない時代。まして海外中継ともなれば、半年ほど前から技術陣との綿密な打ち合わせを重ね、ようやく実施という大プロジェクトでした。ですから、リハーサルで回線が繋がるとスタジオ内で“やったぞ!”と拍手と歓声が沸き起こっていましたね。当然、そのための費用もべらぼうにかかったわけですが、番組の評判がどんどん上がり、視聴率も30%以上が当たり前という状況になり、予算を大幅にオーバーしても何とか許されていたわけです」