激怒した客も放っておかない  

 23歳で長男を、26歳で長女を出産。母になった後も、育児は住み込みのお手伝いさんに任せて、榮子さんは店に出て働いていた。

 長女の山口啓子さん(72)に寂しくなかったのかと聞くと、「全然!」と笑って否定する。

「私が小さいころは母の3人の妹たちも一緒に暮らしていて、とっても可愛がってくれたので、私は叔母さんたちに育てられたかなーと思うことがあります(笑)。家の中をお掃除しながら、みんなで合唱したりして、にぎやかで楽しかったですよ。父も温和な人だったので、私は自由気ままにやっていました(笑)。母たち4人姉妹は今でも仲がよくて、大阪に嫁いだ私が年に何回か帰省すると、母の鶴のひと声でパッと集まってくれます」

 子どもたちに薬剤師になれとは一度も言わなかったが、長男の英彦さんは薬剤師になった。英彦さんの妻の公子さん(74)も薬剤師だ。

 '78年に創業者の父が亡くなった後は、夫や息子夫婦と池袋本店を切り盛りしてきた。事業拡大のため、'91年に英彦さんが小豆沢店を開店。公子さんと交代で通うようになった。

 ところが、オープンして間もなく、予期せぬ事態に見舞われる─。

ヒルマ薬局のピンチを共に乗り越え、支え合った公子さんと榮子さん 撮影/伊藤和幸
【写真】ギネス記録証を手に、挑戦し続ける榮子さんと康二郎さん

 働き盛りの英彦さんが脳溢血で倒れて救急搬送。命は取り留めたが、介護が必要な状態になってしまったのだ。

 当時、69歳だった榮子さんは池袋本店を公子さんに任せて、自分が小豆沢店に通うことにした。

「パパ(英彦さん)が倒れたとき、下の孫の康二郎はまだ中学1年生でした。学校から“ただいま”と帰ってきたときに“おかえり”と言ってあげるのは、お母さんじゃなきゃいけないと思って、自然に店を入れ替えちゃったのよ。

 孫たちのことがいちばん気がかりだったから、それでよかったと思いますよ」

 あっさり言うが、相当な苦労があったはずだ。乗り越えられたのは榮子さんのおかげだと、公子さんは感謝を口にする。

「お義母さんがいなかったら、うちはやっていけなかったと思います。それまで私は店の経営には全然タッチしていなかったので、当時の決済に必要だった小切手の切り方も知らなくて(笑)。

 いろいろな方に教わりながらどうにかこなしましたが、夜遅くまでかかってしまって。お義母さんが小豆沢店を閉めて帰ってきて、私がまだ仕事をしていると、“手伝ってあげるわよー”と疲れ知らずにやってくださったので、本当に助かりました」

 息子が倒れた3年後には夫が逝去。榮子さんはスタッフの助けも得て、それ以前にも増して精力的に仕事をこなした。

 あるとき、高齢の男性客が怒って帰ってしまったことがある。朝、処方箋を出して後から取りにきたが、店内が混み合い、すぐ薬を出せなかったのだ。榮子さんは自宅まで出向いて謝ったのだが、追い返そうとする。

 何か事情があるのではと粘り強く話を聞くと、「数か月前に妻を亡くした寂しさと慣れない家事でイライラしていた」と打ち明けてくれたそうだ。

 責任感が強く中途半端なことが嫌いな榮子さんらしいエピソードだが、決して仕事一辺倒ではなかった。息を抜くのも上手だったと話すのは、長女・啓子さんの夫の進さん(74)だ。

「仕事が一段落したときには、少々ぜいたくなものを食べに行ったり、買い物をしたり。啓子を連れてヨーロッパなど海外にもよく旅行に行っていましたよ。義母は仕事も息抜きも、振り幅が大きいというか、そうやって自分にごほうびを与えて楽しむことで、大変な仕事を長年続けることができたんだろうなと、サイドから見ていて思います」