被災地ボランティアで決意

 榮子さんが必死に守ってきた小豆沢店で、孫の康二郎さんが働き始めたのは15年ほど前だ。

 康二郎さんにとって、幼いころは薬局が遊び場だった。スタッフの人たちとご飯を食べたり、遊んでもらったりするのが楽しかったという。

「調剤室には入るなと怒られましたが(笑)。両親は自分のことを医者にしたかったみたいだけど、高校3年のときに家を継ごうと思ったんです。父が倒れて母親とおばあちゃんが女手だけで頑張っているのをずっと見てきたので」

 現役のときは医学部も受けたが不合格。浪人して東京薬科大学に進んだ。卒業後は日本大学医学部附属板橋病院に研修生として10か月勤務し、国立成育医療センター(現・国立成育医療研究センター)に就職した。1年半たったところで榮子さんが体調を崩し、ヒルマ薬局に戻ってきてほしいと頼まれた。

 小豆沢店で働き始めて3年後、31歳のときに東日本大震災が起きる。宮城県気仙沼市の被災地で薬剤師のボランティアが必要だと、康二郎さんに声がかかった。

「うちの両親からは、何があるかわからないと止められたんですよ。でも、おばあちゃんだけが、“別に戦争みたいに死ぬために行くわけじゃないんだから、行ってらっしゃいよ”と応援してくれて」

 現地では40代後半の女性看護師とともに被災者の対応に奔走する。1週間の支援活動を終える日に、看護師が泣きながらあいさつに来た。

 その日の朝、行方不明だった夫が生きていると連絡があったのだと涙の理由を明かしてくれた。

「残念ながらお子さんは亡くなっていたんですけど、自分も被災して家族の生死がわからない中で、なんで看護師として働けたのかと聞いたら、“自分は看護師という資格を持っている以上、何かあったときはきちんと力を尽くせる自分でありたい”とサラッと言われて。

 その言葉を聞いて、自分はそれまで薬剤師として何をしてきたんだろう。薬剤師として何ができるんだろうと考えるようになったんです」

「理想の薬局」に近づけようと改革を進めてきた店長の康二郎さん 撮影/伊藤和幸
「理想の薬局」に近づけようと改革を進めてきた店長の康二郎さん 撮影/伊藤和幸
【写真】ギネス記録証を手に、挑戦し続ける榮子さんと康二郎さん

 東京に戻ってからも模索を続けていると、薬局のスタッフから「ドリームマップ」というものがあるから、やってみないかと提案された。

 ドリームマップとは、それぞれの夢を写真やイラスト、文字を使ってビジュアル化することで、夢を実現しようというもの。

 まず個人のマップ作りをしてみたら思いのほか楽しかったので、みんなで店用のドリームマップも作ることに。「広い休憩室が欲しい」「お店を改装したい」など、たくさんの夢が書き込まれた。

 その中にあったのが、「榮子先生をギネス記録に」という夢。康二郎さんもそれはいいとすぐ賛同したそうだ。

「自分たちのような一般人が一つの仕事を長い間やっても称賛される機会って、そうそうないじゃないですか。

 でも、うちのおばあちゃんがギネス記録に認定されたら、世の中にたくさんいる、頑張っているおじいちゃん、おばあちゃんたちを元気づけられるかなと。それに、薬局ってこういうところなんだと全国の方に知っていただけるいい機会になると思ったんですよ」

 そのとき榮子さんは88歳。ギネス記録を調べてみると、南アフリカに92歳の現役薬剤師がいた。榮子さんもあと5年働けば記録更新できたが、申請するだけで100万円以上必要だと知り、さすがに無理だと一度は諦めた。