「薬剤師の父が目標だった」

 疎開先で結婚した。相手は7歳年上の従兄で、榮子さんは22歳だった。幼いころから夏休みに上田に帰郷するたびに一緒に遊んでいて、気心も知れていた。

 終戦の翌年には父や夫と東京に戻る。池袋に小さな家を建てて自宅兼店舗にして、ヒルマ薬局を再開した。

「父はどこで材木を探してきたのかと思うくらい、周りはきれいに焼けちゃって何もなかったの。遠くに焼けずに残った緑が見えて、おそらく皇居や上野の森あたりでしょう。その間からチラッチラッと海が見えたの。嘘みたいだけど、本当の話よ」

 榮子さんの夫も薬剤師で、3人で休むことなく働いた。当時は体調を崩すと、まず薬局に来る人が多かった。「熱が出た」「頭が痛い」「吐き気がする」など症状を聞き、調合した薬を薬包紙に包んで渡す。それを3日間飲んでも症状が改善しなかったら、また来るように伝え、必要があれば病院を紹介した。

父親のような親切で慕われる薬剤師を目指し、勉学に励んでいた学生時代の榮子さん
【写真】ギネス記録証を手に、挑戦し続ける榮子さんと康二郎さん


「そのころは今のように、お医者さんがたくさんいるわけじゃないから、病院を紹介するのも薬局の役目でした。

 近所の人が相談に来ると、父は親切に話をよく聞いてあげていましたね。だから、みなさんからとても頼りにされていたの。そんな父を尊敬していたし、父が目標でした」

 まさに今の榮子さんと同じだ。そう言うと、榮子さんは「自分はそこまでは」と控えめに笑う。

 近くに戦犯を収容した「巣鴨プリズン」があり、薬を届ける父についていったことがある。一緒に中に入り、診療所で父と医師が話している間、榮子さんが廊下に目を向けると、囚人が2人1組で歩いているのが見えた。

「お巡りさんが付き添って手錠をはめられていたけど、堂々として、いい顔をしているのよ。あんないい顔をしているのに、どんな悪いことをしたんだろう。そんな変なことを考えながら、眺めていましたね」