偉人の子孫が集まる学習院では注目浴びず

 学習院には旧華族の子孫が多く、「徳川宗家」であるがゆえに注目を浴びることもなかった。父・恒孝さんが初等科で学んだ時代には、徳川さんや松平さんと、島津さんや毛利さんらがクラスメートで、まるで偉人たちの子孫が集まる漫画のような状況が繰り広げられていたという。

「私の代では、岩倉具視の子孫である岩倉君が同級生でした。学習院は、高校までは皇族でも特別扱いしません。そこがよかったんです」

駿府城公園にある、徳川家康像。家広さんと雰囲気が似ている!?
駿府城公園にある、徳川家康像。家広さんと雰囲気が似ている!?
【写真】静岡県・駿府城公園の徳川家康像が19代当主・家広さんと雰囲気が似ている!

 父親の仕事の都合で、小学校1~4年をアメリカ・ニューヨークの郊外で過ごす。帰国後、高校卒業までは学習院で学び、卒業後は一般入試で慶應義塾大学経済学部へ。当時の夢は小説家。文芸サークルで仲間とともにSFやファンタジーの作品を書いていた。

「家庭教師のアルバイトもしていましたよ。英語は帰国生で自然に身についていたから逆に教えるのは苦手。数学は受験で苦労したので、上手に教えられました」

 大学卒業後は、ミシガン大学に進み経済学修士号を取得。

「慶應で勉強しなかったぶん、このころはうなされるほど勉学に励みました(笑)」

 その後は国際連合の専門機関である、国連食糧農業機関に勤務する。そして、再び渡米しコロンビア大学で政治学の修士号を取得することになるのだが、実はベトナム時代に、なんともロマンチックな運命の出会いを果たす。