今の奥さんとの出会い

「ローマ本部に勤務したあと、ベトナムの農林省に出向し現地で技術指導を行うことになりました。そのとき、現地で妻と出会いました」

 ベトナム語習得のため、家庭教師について勉強していた家広さん。いつもの先生が風邪で来られなくなり、代わりにやってきたのが、英語が堪能な今の奥さんだった。当時『徳川宗家がベトナム人女性と結婚!』と週刊誌などで報じられた。徳川の家系に初めて外国人が入るとあり、周囲の反対もあったと報道されたが─。

「もちろんびっくりはされましたが(笑)、家族に会わせてみると“いい子だね”と祝福してくれましたよ。ベトナムでは浄土宗と臨済宗の仏教徒がほとんどで、彼女は敬虔な浄土宗。お寺に参拝したときの手の合わせ方を見て、彼女なら大丈夫だと確信しました。それよりも、日本の生活になじめるかが心配でしたね」

 徳川家などまるで知らない妻。加えて当時のベトナムはまだインフラも完全には整備されておらず、牧歌的な雰囲気。現地で家族とささやかで温かい式を挙げたあとは、少しずつ都会に慣れてもらうためにバンコクで短い新婚生活を送ったという。

 帰国後は経済評論家や翻訳家、大学の客員教授として活動しながら、2019年に参議院選挙に立候補した。徳川家とゆかりの深い静岡選挙区からの出馬で、一貫して「脱原発」と「反改憲」を訴えた。惜しくも3位で落選したが、約400年前に確固たる意志をもって泰平の世を目指し戦った、家康の姿とも重なる。