この結婚は彼女の「押しの一手」で成就したとされるが、どこまで相撲への愛や理解を持っていたかはよくわからない。貴乃花が親方になっても、部屋には住まず、離婚後にはおかみ生活を振り返り、

「このまま終わっちゃうの、私の人生」

 という思いだったとも明かした。優一が相撲以外の道を選んだのも彼女の意向が大きかったようで、花田家の伝統を断ち切る役どころをこなしたともいえる。

子どもたちが受け継ぐ「河野景子の遺伝子」

 その点、貴乃花の母・藤田紀子のほうがおかみとしての仕事はしたし、なんといっても息子ふたりを横綱に育てた。故人となった元夫を嘘つき呼ばわりしてけなすなど、人間的にどうかとも思われる面もあるが、花田家の伝統にはかなり忠実だったわけだ。

 ではなぜ、貴乃花河野景子を選んだのか。それは彼女が「しゃべりのプロ」で局アナ時代にはチーママとあだ名されるほど仕切り上手だったからだろう。

 何しろ、彼は口下手なうえに、忖度がまったくできない。2017年には、横綱白鵬の大記録がかかる日のテレビ解説を務めながらその立ち合いのずるさを批判しまくった。その4か月後、相撲協会主流派との対立が表面化。翌年、彼は協会を追われることになる。

 つまり、妻に広報担当的な役割を期待したとも考えられるが、彼女はそれより部屋の外での講演活動に熱心だった。そもそも、彼女がアナウンサーを目指したのは、

「海の向こうで活躍したい」

 という子どものころからの夢によるもの。局アナ時代には、志願してパリ支局に勤務したりした。

 こういう華やかさへの憧れは、靴修業でイタリアに渡った優一にも、ジュリア・ロバーツみたいな女優になりたいという白河れいにも受け継がれている。「花田家の物語」は今後、河野景子の遺伝子がどうなるかというスケールのものになっていきそうだ。

 そして、どこか喜劇めいてきた物語において、貴乃花はもはや娘の芸能活動に使われる「ネタ」でしかない─。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。