何かをあきらめたときが人生の始まり

「最近よく言われる、“自己肯定感”が下がらなかったのは、できないのは僕のせいではなく、病気のせいときちんと原因と向き合い、なんとなく自分のせいにしてしまわなかったことが大きかったかもしれません。

 別に泳げなくても、浮輪を使えばいい。走れなければ車に乗ればいい。長距離走なんてつらいしやりたくないから、やれなくてラッキー、とようやく思えるようになったんです。時間はかかりましたけどね

 今、藤野さんが発信しているいい意味での“あきらめ”や、“ポジティブな言い訳”が多くの人の心をつかむ理由は、こんな経験が背景にあるからかもしれない。

「もう病気のはずですが、アクティブですね。下の写真は7歳くらいです。薬も飲んでいて、激しい運動を禁止されていましたが、暴れてしまい、言うことを聞かなかった子ども時代でした」(藤野さん)
「もう病気のはずですが、アクティブですね。下の写真は7歳くらいです。薬も飲んでいて、激しい運動を禁止されていましたが、暴れてしまい、言うことを聞かなかった子ども時代でした」(藤野さん)

 小中学生時代、みんなと同じことができないこと以上に嫌だったのが、定期的に行われていたカテーテル検査だ。

「今は画像での検査も発達してきていますし、手首からやることも多いですが、当時は足の付け根からカテーテルを入れられるんです。それが嫌で嫌で。子どもだったので暴れるのを防ぐため、全身麻酔をするのですが、目覚めると必ず吐き気がして。我慢したご褒美に、好きなものを食べていいと親に言われて、ハンバーガーを食べたら、結局吐いてしまった記憶があります(笑)」

 川崎病は現代では認知度も高まり、早めに治療すれば重い障害は残らないことも多い。

「もし、最初の段階で川崎病だと診断されていたら」

 怒りという感情がなかったわけではない。でもその後、医師として働くようになり、見逃すことなく病気を診断することの難しさを知った。仕方がなかったのだ。そう納得するのに、長い時間がかかった。藤野さんが医師になろうと思った理由に、自らの病気があるのは当然のことだった。小さいころから多くの医師とかかわってきたからだ。

 自身の病気について、中学時代に出会った医師は、初めて時間をかけてわかりやすく説明してくれた。薬を一生飲み続けなければならないこと、どれだけ生きられるかわからないこと。

 このとき藤野さんは、人生は思ったより短いものだということを、身をもって理解した。まだほとんどの同級生が元気に遊び回り、自分の人生の残り時間について意識などしていないときに、だ。

「自分の病気の正体が理解できたとき、不思議と恐怖がすっと消えたんです。自分の運命と向き合い、何かをあきらめたこの瞬間が、新しい人生の始まりだったのかも」

 藤野さんの著書や発信する言葉には、よく“時間”というキーワードが出てくる。例えば「嫌な人のために、あなたの大切な時間を浪費しちゃダメ」などというように。

 一見すると、無駄な人間関係は排除して、効率的に生きようという言葉にも受け取られかねないが、そこには、「与えられた時間でできることを精いっぱいやりたい」という強い思いが込められている。

「時間は“命”そのものだ」と、藤野さんは言う。

「僕は、心臓に病気を持っていることももちろんですが、医師という仕事柄、“人はいつ死ぬかわからない”という気持ちが人一倍強いんです。研修で救命救急にいたとき、若い人でも事故であっけなく亡くなってしまうところを見てきました。昨日まで元気だった人だって、明日死ぬかもしれない。もし明日死ぬとしたら、どんな行動をとるだろう。そう考えると、自分にとって必要なものが見えてくるのではないでしょうか……なんて言いながら、僕も時々忘れちゃうんですけどね」