早く医師になって働きたかった

医師を目指すということに現実味が帯びてきた高校時代。文化祭で同級生とのワンシーン
医師を目指すということに現実味が帯びてきた高校時代。文化祭で同級生とのワンシーン
【写真】「このころからイケメンの雰囲気」精神科医・藤野智哉さんの高校生時代の卒業アルバム

 医師になることが現実味を帯びてきたのは高校生になってからだ。

「進路を考えたときに、医師という選択肢は当然あったんですが、僕は医師になりたかったというよりむしろ精神科医、そのなかでも司法精神医学に興味があったんです。例えば、ある人が殺人を犯してしまったとしましょう。“なぜこの人は人を殺してしまったんだろうか、そして心神喪失だとなぜ無罪になるのかということがずっと気になっていました。

 責任能力のあるなしによって、有罪にも無罪にもなる。そこはニュースで見ているだけではブラックボックスの領域で、理解できなくて。例えば僕らでも、人を殺す可能性はあるかもしれない、罪を犯した人は本当に病気があるのかないのか、そんなことが気になっていたんです」

 同じような理由から弁護士にも興味があったものの、絶望的に文系タイプではなかったので、医学部を目指すことにしたのだ。受験は地方の国立大学の医学部に絞った。

「母親は身体のことを心配して、地方で一人暮らしなんてしないで、浪人してでも近場の医学部に入ることを望んでいました。でも僕はいつ死ぬかわからないという思いが強かったので、早く医師になって働きたかったんです。だから絶対浪人はしたくない。私立の医学部に行くお金はなかったので、確実に受かる地方の国立大学に入ろうと戦略的に受験勉強をしました」

高校の卒業アルバムから。このころから“イケメン”の雰囲気を漂わせている
高校の卒業アルバムから。このころから“イケメン”の雰囲気を漂わせている

 無事、秋田大学医学部に進学するものの、最初は後悔したという。

「高校までは勢いだけで調子に乗って生きてきましたが、秋田への飛行機はプロペラ機で、しかも着いたらすごく雪が積もっていて。怒られてしまいそうですが、とんでもない地方に来ちゃった、と。

 大学生ってもっと華やかなものだと思っていて、張り切ってブランドもののバッグを持っていったんですが、実際は落ち着いた学生ばかり。最初の夏までにストレスで5kg太りました(笑)」

 でも慣れると、秋田での生活は無駄な競争もなく居心地が良くなっていった。もし遊ぶ要素があったら、きっと留年していただろうと振り返る。

「なにより地元しか知らなかった僕は、いろんな世界があることを学びました」

 例えば冬、コンビニに行くのにもひと苦労だったという。まず家を出るのに雪かきをする。そしてコンビニに行っている間に積もった雪をまた雪かきしないと家に入れないような状態だったのだ。

「雪かきするのが面倒で、外に出なくなりました。医師国家試験を控えた2か月間は、ほとんど家から出ず、昼と夜は宅配弁当を頼んで、ほとんどそのお弁当屋さんとしか話しませんでしたね(笑)」

秋田大学に入ったばかりの18歳のとき、友達と自宅で。家賃は4万円で、狭い家だったという
秋田大学に入ったばかりの18歳のとき、友達と自宅で。家賃は4万円で、狭い家だったという