鳥居さんにとって貴重な宝

鳥居さんの描くデッサン画。時代を超えて今見てもおしゃれ!
鳥居さんの描くデッサン画。時代を超えて今見てもおしゃれ!
【写真】1968年、順調にキャリアを積み上げる26歳の頃の鳥居さん

 そうした経験は鳥居さんにとって貴重な宝として残っている。

 日本女子大学附属中学校に進んだころには、六本木にあった海外雑誌を置く古本屋に通い、アメリカのファッション誌『セブンティーン』などを愛読していた。絵を描くのが好きで、一日中絵筆を持って過ごすこともあった。

 中学校を卒業すると、母のすすめで高校には進学せず、3年飛び級して東京・駿河台にあった文化学院に入学した。文化学院は自由で創造的な教育を目指した西村伊作院長が、歌人の与謝野晶子らと設立した学校だ。

「本来は高校卒業後に入学する学校でしたが、母は私が描いた絵を西村先生に見せてじかに交渉し、入学許可を取りつけてきたのです」

 校則なし、教科書なし。制服もなくて、女子も男子も最先端のおしゃれを競っていた。同級生にはデザイナーの稲葉賀恵さんや菊池武夫さんがいる。

 かなり自由な校風だったが成績評価は厳しく、卒業できない生徒も半数近くいた。

「“自由は責任を伴うもの。はき違えてはいけないよ”と西村先生はよく話してくださり、それは今でもとても大切にしている教えです」

 そのころには母と一緒に生地問屋の展示会に通うようになっていた。

 地味な色合いの織物が多かった時代、海外のファッション誌に載っているような華やかな生地を問屋さんにリクエストしていた。

「母と一緒にオリジナルの色や柄の生地をデザインしたのが、15歳か16歳のとき。できあがってくると、今度はこの生地でどんな洋服を作ろうかとワクワクしながら考えます。当時は洋服をデザインするというより、着たい洋服を作ることを楽しむ感じでした。母からデザイナーになるようにすすめられたことは一度もありません」

 文化学院に在学していた1961年、鮮烈な印象を受けたディオールのショーから8年を経て、母は念願だったパリへと旅に出た。

「帰国した母を迎えに行ったら、リボンで髪を飾って驚くほど若々しく華やいだ姿になっていたことをよく覚えています」

 卒業後は母の仕事を手伝いながら、雑誌でイラストを描く仕事なども引き受けていた。

貴重な財産、19歳で単身ヨーロッパへ

鳥居さんの描くデッサン画。時代を超えて今見てもおしゃれ!
鳥居さんの描くデッサン画。時代を超えて今見てもおしゃれ!

 デザイナーデビューは19歳だった。何回目かの母のショーで、“私も!”と5点の服を発表したのが始まり。1962年のことである。海の向こうでは、ビートルズがレコードデビューを果たした年だ。

 堅い雰囲気の洋服が主流だった時代、「堅苦しさから脱して、自分が着たい服を作りたい」という強い気持ちでデザインをした。母もまだデザインを続けていたが、次第に鳥居さんのデザインが増え、やがて母は経営に回るようになった。

 そうしてデビュー以来、休むことなくコレクションを発表し続け、今年で61年目を迎える。こんなにも長期間、1つのブランドをひとりのデザイナーがデザインしているのは、おそらく世界でたったひとり、鳥居ユキだけであろう。

 鳥居さんが「家族同然」というエッセイストの安藤和津さんが、デビュー当時の鳥居さんのことを話してくれた。

「初めてユキさんをお見かけしたのは、私が14歳くらいのころでした。銀座のお店に母とお買い物に寄ったときです。店員さんたちが急にざわざわとし始めて“ユキ先生がこちらにいらっしゃる”と口々に言っていて、すごい目力のユキさんがさっそうと店内に入ってこられました。“カッコいい!”と思ったのが最初。そのときはたぶん、お母さまかお祖母さまもお店にいらっしゃったと思います」

 そうしてデザイナーとして歩き出した鳥居さんは、母から“世界中の美しいものを見てきなさい”と単身ヨーロッパ旅行へ送り出される。

20代前半。NYの街並みに溶け込む鳥居さん
20代前半。NYの街並みに溶け込む鳥居さん

「乗り継ぎを繰り返した30時間のひとり旅で、ガタガタと揺れる飛行機は、今にも落っこちてしまいそうで怖かったですよ(笑)」

 初めて訪れたパリは頭がしびれるほど寒い冬。母の友人でファッション誌『ELLE』の編集長のお宅にホームステイし、貴族の家系の彼女からはパリのシックな美意識をたっぷりと肌で感じ取ることができた。また古い教会、表の道路からは見えない中庭などを案内してもらい、パリの人々の日常も知ることができた。

 パリを拠点に近隣諸国を訪ね歩いた。美しいものはどの国にもあった。

「若いうちにいろいろな国の文化を見た経験は、今考えても、何ものにも代えがたい財産になっています」

 20代になると、テレビに出演する岩下志麻さんや加賀まりこさん、奥村チヨさんや小柳ルミ子さんといった超売れっ子の衣装も手がけるようになる。