起業し2年で抱えた7000万円の借金

「ふーん」

 対面していた信用金庫の融資担当者は、手渡した事業計画書を読みもせず、居丈高に放り返した。

 世界トップレベルのコンサルティング会社「アクセンチュア」の前身である「アンダーセンコンサルティング」に勤務したのち、25歳で起業を果たした西村を待ち受けていたのは、門前払いの日々だった。

今でも忘れられません。いつか見返してやりたい。その一心でした

 1995年、インターコミュニケーションズ(現エクスコムグローバル)を設立した西村は、音声メッセージを送ることができるシステム「ボイスメール」を主力サービスに起業する。

「早くカタチにしないと他の人にやられてしまう」と焦るほど自信のあるアイデアだったが、時代を先取りしすぎたのか、金融機関も営業先も相手にしてくれなかった。なんとかして契約にこぎつけるために、やれることはすべてやったと苦笑する。

企業情報を扱う『帝国データバンク』などのデータを購入すると、社長の生年月日が記載されていることがあります。僕はその日に電話をかけ、社長につないでくれないかと交渉していた

 ゲートキーパーである電話受付を突破することは非常に難しい。そこで、「社長にお誕生日のお祝いを伝えたくて電話しました」と伝えると、担当者ですら社長の誕生日を把握していないことが多いため、「確認します」となる。

 実際に誕生日だとわかるとつないでくれ、「実は社長とどうしてもお話ししたかったので、この誕生日が訪れるのを待っていました」と、西村は切り出したという。

先方の社長も、『面白いヤツだ』と興味を持つ可能性が高まり、通常の営業電話では極めて難しい社長との直接対話ができた。当時はお金こそありませんが、知恵を絞り出すのはタダです。どうすれば興味を持ってもらえるかばかり考えていた

 しかし、業績は伸び悩んだ。起業して2年、すでに借金は7000万円にまで膨れ上がっていた。

うち3000万円は、うちの妻……当時は結婚する前でしたが、彼女の両親が貸してくれました。絶対に忘れてはいけない恩だと思いました

 何かネタはないか?藁(わら)にもすがる思いで、ラスベガスで行われていた展示会へ行くと、海外用レンタル携帯電話事業を思い立つ。当時は、今のように海外で携帯での通話をすることは難しかった。企業を相手にしたら……一筋の光明が差し込んだ。

25歳から30歳までの5年間は本当に苦しかったです。後のコロナ禍で、『イモトのWiFi』は大ダメージを受けますが、信用や実績もあれば、仲間もいた。しかし、このときは下支えするものがない。毎日が必死だった

ゴリ押ししたネーミングが功を奏した
ゴリ押ししたネーミングが功を奏した