
渋谷の一等地に、ひときわ目立つ大豪邸がある。総工費は驚愕の30億円超え。4階の屋上に上がると、「金運が上がる滑り台」と自らが呼ぶ、4000万円をかけて設置した“黄金の滑り台”がそびえ立つ。「……やりすぎでは」。誰もが目を丸くする。
西村社長の成し遂げたいこと

「いかにも成金だと思いますよね?」
『イモトのWiFi』『にしたんクリニック』などを運営するエクスコムグローバル代表取締役社長・西村誠司は、そう言ってニヤリと笑う。25歳で起業し、今では個人純資産300億円といわれる豪邸の主は、「してやったり」の表情を浮かべ、訪れる者のリアクションを楽しんでいる雰囲気さえある。
「世間から見れば、僕は成金社長でしょう。でも、世間の評判は成金社長のままでいいんです。そのほうが僕にとっては都合がいい」(西村氏、以下同)
世に知られるきっかけが悪評であったとしても、世に知られていない状態よりはずっと良いことを意味する「悪名は無名に勝る」という言葉がある。西村は、あえて自分が悪目立ちしてでも、成し遂げたいことがあると話す。
「社会のために何ができるか。お金があると便利だし、あるに越したことはありません。ですが、本当の幸せの源泉って何だろうと考えると、50歳を超えたくらいから考え方に変化が生じたんですね」
現在、西村は不妊・生殖医療を扱う『にしたんARTクリニック』の運営を行い、少子化対策の旗振り役として、新たなページを刻もうとしている。その半生は、まるで経済小説を読んでいるかのようだ。
生活保護を受けるほどの極貧家庭で育ち、ゼロから起業を目指すも、借金7000万円を抱える。海外用レンタル携帯電話事業で息を吹き返すと、『にしたんクリニック』という異分野に進出し、PCR検査事業で誰もが知る存在となる。
型破りだからこそ、単なる成金なワケがない。令和の名物社長・西村誠司は、いかにして常識をひっくり返してきたのか─。
13歳から働き、稼ぐ感覚を身につけた
愛知県名古屋市に、男3人兄弟の次男として西村は生まれた。実家は、焼き鳥店を営んでいたが、西村少年が小学校に入学するころ、父は肝硬変を患い、医師から「余命はあと数年」と告げられてしまう。
働くことができず、店は他者へ譲渡。一家の大黒柱を失った西村家は、生活保護を受けるほど困窮していく。
「父が死ぬと宣告された母は、そのショックでお酒に溺れるようになり、アルコール依存症になりました」
家庭訪問で先生が自宅を訪れた際も母は酩酊(めいてい)していたという。酒を米びつの中に隠したり、専門機関へ入院させたりしたが、改善することはなかった。だが、
「悲愴(ひそう)感が漂うようなものではなかったです。父は、その後、68歳まで生きましたが、両親が僕たち兄弟に対して、『生活を支えてほしい』といったプレッシャーをかけることもなかった。ただ、頼れるのは自分しかいないと思うようになりましたよね」
その言葉どおり、西村少年は中学に入るとすぐに新聞配達を始めた。朝刊と夕刊、雨の日も雪の日も自転車をこいだ。
「13歳から今まで、僕はずっと働いている(笑)。ですが、稼ぐという意識が早い段階から身についたことは、結果的に良かったことだと思っています」
当時の将来の夢は、「医者だった」と打ち明ける。自ら進んで勉強にも取り組み、高校は県内トップクラスの学校に進学した。たとえ貧しくても、両親は「自分で稼いだお金は自分で使いなさい」と、西村を尊重し続けたという。
奨学金で地元・名古屋の大学に入学した後も、家庭教師、日雇い労働など時間を埋めるように働き、21歳になると貯金額は200万円を超えていた。数あるアルバイトの中でも、西村が忘れられないと振り返るのが、葬儀社で働き続けた4年間だ。
「およそ800人の方のお別れの場に立ち会い、人はいつ死ぬかわからないと痛感しました。一瞬一瞬を大切にして、一生懸命生きなくてはいけないと思うようになりました」

同時期に、友人から何げなく一冊の本──イギリスの作家、ジェフリー・アーチャーが著した小説『ケインとアベル』をすすめられた。裕福な家庭で育ったケインと、ポーランドから移民としてアメリカにやってきて才覚ひとつでのし上がっていくアベル。
生い立ちの異なる2人の主人公の運命が交錯するベストセラーだが、若き日の西村青年はことさらアベルに共鳴した。
「恵まれない環境でも、反骨心を持って自分の才覚で道を切り開くアベルがとても眩(まぶ)しく見えた。起業して、自分も事業家になろうと決意しました」
この読書体験が、西村をケイン、アベルにも負けないビジネスストーリーへと誘(いざな)うことになる。