メディア戦略が成功し、一躍有名社長に
誰もがスマホを持ち始め、SNSが台頭する中で、西村は機を見るに敏、海外用レンタル携帯電話事業からモバイルインターネットへと進出する。2012年にスタートした、海外用Wi-Fiレンタルサービスの先駆けとなる『イモトのWiFi』は、自社の代名詞となるほどヒットを記録する。
それにしても、『イモトのWiFi』とは思い切ったネーミングである。
「役員の全員が反対しました(笑)。ですが、僕は『これだ!』と思った。それまでわれわれは海外へ出張するビジネスパーソンと企業を主な取引先とするBtoBの市場で競争していましたが、海外用Wi-Fiレンタルとなると、海外旅行に行く方々、つまりBtoCの市場で戦うことになる。そのためには、わかりやすさとインパクトが必要だと考えた」
この知名度先行ともいえるビジネス戦略が、後に『にしたんクリニック』のCM、さらには西村自身のメディア露出にもつながることとなる。
だが、どこか晴れない気持ちを抱えていたと西村は吐露する。
「ボイスメールのほうが100倍自信がありました。海外用レンタル携帯電話事業は、それしかアイデアがなかったから始めたこと。その延長線上に、『イモトのWiFi』もあります。自信があったことが失敗して、何の期待もしていなかったことが当たったにすぎない。実際、たまたま当たった社長として見られることも少なくなかった」
畑違いの分野にもかかわらず、'19年に美容クリニック『にしたんクリニック』を運営するに至った背景は、「まぐれではない」ことを示したい思いがあったからだった。あえて、「規制事業にこそチャンスがある」と決断するあたりが、反骨心を原動力に道を開いたアベルに憧れた西村らしさかもしれない。
ところがその矢先、想定外の逆境が訪れる。新型コロナウイルスの世界的流行である。海外渡航ができないため、Wi-Fiレンタル事業はかつてないほどの苦境に陥る。実に、売り上げの98%が減少する異常事態だった。
「とはいえ、何もないあのころとは違い、銀行も融資をしてくれたことで、立て直す猶予はありました。コロナ禍によってWi-Fiレンタルは向かい風になった。ということは、逆にコロナ禍が追い風になる事業もあるはず。それがPCRの検査事業だった」
当時、検査をしたくても、その場所がなく、新型コロナに起因する二次障害が続出していた。反面、未知のウイルスを相手に事業を始めることは、並み大抵のことではない。だが、ここで踏み出さなければ、会社は倒産するかもしれない。
「例えば、オリンピックの柔道などで、最後の5秒に咄嗟(とっさ)に繰り出した技で逆転することがありますよね。自分でも、どうしてそういった動きができたかわからない……けれど、おそらくそれは日々の鍛錬のたまものだと思うんです。
僕のケースで言えば、中学生からアルバイトを始め、起業してからもアイデアを練り続けた。その経験値がマグマのように爆発して、PCR検査という決断に行き着いたのだと思う。『どうして思いついたのですか?』と聞かれても、そうとしか言いようがないんです(笑)」