医師となってからも、赤字続きで閉院寸前の公立病院の院長に就任したり、チェルノブイリ原発事故の放射能汚染地域に100回を超える医師団派遣を行ったりと、人がやらないことに果敢にチャレンジし続けた。
生き方の傾向を先生や親に委ねない
鎌田先生の周りにも、ユニークな友人がたくさんいる。例えば高校時代の剣道部仲間で、時代小説作家の好村兼一氏もそのひとり。
「彼は非常に優秀で、簡単に東大に合格しました。在学中に剣道の指導者として渡仏し、そのまま現地で貿易会社を興して東大を辞めちゃった(笑)。
その後は最難関の剣道段位八段に合格し、なんと40歳を過ぎてからは作家デビューを果たしたんです。東大に入ることが目的じゃないから、大学にも固執せず、次々と新しいことに挑戦する。面白く生きる、見本のような男です」
大学合格が最大の目標となり、人生の真の目的を見失っているように思える日本の子どもたち。偏差値主義の教育や、親の凝り固まった価値観も原因だろう。
「先生も親も決して完璧じゃない。だからこそ、いい部分だけバトンを受け取り、違うと感じたものは受け取らなければいいんです。生き方の傾向を先生や親に委ねず、自分流に変えるよう、意識してほしいと思います」
親との関係性に悩むのは子どもたちばかりではない。最近では、成人してからも子どものころの家庭環境を引きずり、生きづらさを抱える大人も少なくない。
「僕も、生みの親に対してずっと割り切れない部分がありました。でもそれも含めて、すべてを受け入れたんです。母は生きるために、僕を捨てるという苦渋の選択をせざるを得なかったのだろうと勝手に解釈しています。怒っても憎んでも、新しい現実は生まれないのだから」
思いどおりにならないのが人生、と豪快に笑う。壁にぶつかったときは、我慢力を養成する時期だと考えて乗り越えた。
しがらみの中、頑張ったり、あえて頑張らなかったりしながら、いかに自由になれるかを追求してきた。日本の子どもたちにも、生きる力を蓄えてほしいと願っている。
「勉強や人間関係に行き詰まったり、経済的な理由で選択肢が限られたりすることもあるでしょう。それでも人は自由であるべきなんです。自由になると、生きることが面白くなる。面白いことに貪欲な若者が増えれば、きっとこの国ももう一度元気になれるはず。そう思っています」
取材・文/植木淳子