妻の存在が闘病の励みに
この療法では血液から透析のような機械でリンパ球を取り出し、1か月かけてがん細胞を攻撃する遺伝子を持つ「CAR―T細胞」の培養などを行う。その間、落合さんは3回目の抗がん剤治療を受け、その後、培養したリンパ球から作られた薬を体内に移す処置を行った。
「40度近い高熱が出て2日ほどダウンしたこともあったけど、その後は順調に治療ができて。トータルで5か月以上、ほぼ寝たきり生活だったから筋力がなくなってしまってね。ベッドからも立ち上がれず、トイレに行くにもフラフラするようになって」
退院からしばらくして、久しぶりに自宅でスパゲティを作ったところ、妻から「しょっぱくて食べられない」と言われてしまう。自分では気づかなかったが、味覚障害に陥っていたのだ。
「妻に料理にケチをつけられたことがショックで怒ったけど、言われてみれば入院中、何を食べても“薄い”と思ってたんだよ。マイ調味料を持ち込んでたから気づかなくて。でも副作用はいずれ治るだろうと思って、過度に心配しませんでした」
がんになっても常に前向きで、落ち込んだりすることはなかったという。
「前向きすぎて妻からも“バカじゃないの”って、からかわれましたね。“しょうがない”という気持ちがいつもあるんです。自分じゃ治せないし、病気を受け入れて一緒に頑張るしかない。この後はどうなるかわからないけど、自分のベストは尽くしたから」
今のところ、担当医からは「落合さんの身体の中にがん細胞は見当たりません」と言われているそう。
「手足の痺れや、爪がボロボロだったりと後遺症はあるけれど、あとは免疫力と体力を戻すことだけです」
2度の闘病では、妻の支えが大きかったと話す。
「入院中はほぼ毎日、病院に来てくれて。ただ、あるとき、大ゲンカしたら2日間来なくてさ。電話にも出ないし、さすがにマズいと思って、病院を抜け出してタクシーで自宅に帰ったんだ(笑)。妻は驚いて、病院にすぐ追い返されたけど。その後、“二度としないで”って涙ながらに電話をもらって、なんとか仲直りしました」
自分が前向きすぎるぶん、妻の冷静なサポートがありがたかったと語る。
「病気や治療法なんかも妻が全部調べてくれてね。自分で調べるとさすがに弱気になっちゃいそうだから」
最近始めたYouTubeチャンネルは、自宅で料理をする落合さんを妻が撮影し、二人三脚で制作する。
「裏では『うるせぇなぁ』とか言いながら、ケンカしっぱなしですよ。それでもケンカできる相手がいて、体力もあるって幸せだね」
と語る落合さんからは、妻への思いがあふれていた。
落合務シェフ●17歳で料理の道へ。ホテルニューオータニなどでフランス料理を学び、31歳から4年間、イタリアで料理の修業を積む。帰国後、イタリア料理店の料理長を務め、1997年「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」を銀座にオープン。日本イタリア料理名誉会長。
取材・文/荒木睦美 撮影/佐藤靖彦