『はだしのゲン』命名の秘話
「ずらっとタイトルの候補を並べて、『おまえ、どれがいい?』と聞かれました。漢字で書いたもの、カタカナで書いたもの、全部ひらがなで書いたものとさまざまです。ひらがなばかりだとちょっと物足りないし、カタカナばかりでもちょっと違う。
『これなら小学3年生でも読めるし、いちばん目立つんじゃないの?』と言ったら、夫は『俺もそう思う』と言って、『はだしのゲン』になりました」
原爆投下の1945年8月6日、ゲンは広島で被爆。奇跡的に助かるも、父と姉、弟はつぶれた家の下敷きになり、そのまま焼かれてしまう。母は原爆のショックで被爆当日に女児を出産し、ゲンは何もない焼け野原の町で母と力を合わせて生きていく。
「あのときは戦争孤児がたくさんいたんです。でも夫には母親がいた。『俺は母親が生きていたからまともな人生を送ることができた、もしあのとき母親が死んだら俺は野垂れ死んでいただろう』とよく言っていました。だから母親の存在は夫にとって特別だったんです」
漫画に描かれる家族構成やエピソードは啓治さん自身のもの。原爆の恐ろしさを知ってほしいと、自らのつらい記憶を直視し、身を削るようにして一コマずつ描き上げた。

「描いていると、お父さんたちの顔が甦るんでしょうね。痛かったろうな、熱かっただろうな、こういう死に方はつらいよなと言っては、ペンが止まっちゃうんです。
でも夫は決して手を抜きませんでしたね。自分の体験だから、嘘は書けないと言っていました。これは俺の勝負なんだ、この作品に命を懸けているんだ、戦争というのは想像以上に残酷なんだ。それを子どもたちに知らせなくてはいけない、という思いがありました」
伝えたいことは山ほどあるが、誌面には限りがある。連載当初は紙不足も重なり、与えられるページ数は絞られた。
「少ないページにストーリーを詰め込まなければいけなくて、コマがどうしても小さくなってしまう。だからなかなか迫力が生まれない。
そんな悩みをぶつけながら描いていました。少年漫画ということで、少しは娯楽性を加えなければと、読みやすいよういろいろ工夫も凝らしていましたね。当時流行っていた歌や、恋の話を入れたりもして」