創作活動にも影響を及ぼした被爆の後遺症

 被爆の後遺症に悩まされ、創作活動にも影響を及ぼした。まず30代と若くして糖尿病を発症している。

「眠い、だるいと言っては、すごくたくさん水を飲むんです。ある日机に向かって漫画を描いていたら、そのまま意識を失い、ずるずると椅子から滑り落ちたことがありました」

 原爆に焼かれた広島の町で、どんな困難に遭おうとも、ゲンはたくましく生きていく。それはまた啓治さん自身の生きざまでもあったという。

作中に何度も出てくる「麦のようにたくましくなれ」とは啓治さんが父親から実際に言われた言葉(『はだしのゲン』第4巻(汐文社))
作中に何度も出てくる「麦のようにたくましくなれ」とは啓治さんが父親から実際に言われた言葉(『はだしのゲン』第4巻(汐文社))
【写真】「これくらい描かないと原爆の恐ろしさがわからない」はだしのゲンの過激描写

「漫画の中でお父さんが『ふまれてもふまれてもたくましい芽を出す麦になれ』と言うけれど、あれは実際に亡くなったお父さんから言われた言葉だそうです。助け合い、励まし合いながら何がなんでも生きていく。それが夫の本当に言いたいことでした」

 1987年、14年の歳月をかけ、『はだしのゲン』はついに完結。被爆者自身による原爆漫画は珍しく、マスコミが大きく取り上げ話題を呼んだ。注目が高まると、講演会の依頼が舞い込むようになる。

「俺、講演なんかできないよと言って、最初は断っていたんですけど。どうしてもと言われて引き受けたら、やっぱり迫力が違う、すごくわかりやすい、と言われて。体験者自身の話を聞くことはそれまでなかったのでしょうね。

 学校の先生方に『はだしのゲン』は引っぱりだこで、学級文庫に全巻そろったことがなく、もうボロボロになっていると言われました。うれしかったですね。漫画家冥利に尽きるというものです」

 子どものころ学校や図書館で『はだしのゲン』を読んだ、という人は多いはず。

 完結後もなお漫画の人気は高まり、連載継続の話が持ち上がる。期待に応えたいと再びペンを執るも、眼底出血により連載を断念。啓治さんは肺がんを患い、2012年に73歳でこの世を去った。生前はさまざまな被爆の後遺症との闘いが続き、がんもそのひとつといわれている。

 現在『はだしのゲン』は25か国で出版され、世界中で読まれている。ミサヨさんのもとには今も海外の読者から反響が届くという。さらに昨年はアメリカ漫画界のアカデミー賞といわれる漫画賞『アイズナー賞』のコミックの殿堂入りを果たした。

「殿堂入りということで、トロフィーが送られてきました。アメリカからもらったということに意義がありますよね。日本だけではなく、海外の人も読んで、理解してもらえているということがうれしい」