人気雑誌で磨いた要領の良さ
「有意義だと思わないですよ、まったく」
東京大学医学部での日々を、そう振り返る。授業にはほとんど出ず、履修はわずか3コマ。受講もせず、試験は過去問で乗り切った。
大学生活は映画監督になるための“ステップ”。勉強より夢に向かって現実を突破する時間だった。山口百恵さんの引退に合わせて立ち上げた「東大アイドルプロデュース研究会」では、自作映画の主演探しも兼ねて「百恵の次のアイドルは東大生が選ぶ」と打ち出し、メディアの注目を集めた。そして、2000人の応募から13歳の武田久美子をデビューさせる。
16ミリカメラを買い、衣装もプロ仕様で映画製作に挑戦。だが半年かけても撮影は半分しか進まず、「段取りを覚えてこい」と衣装会社の社長にたしなめられた。
“早撮監督”富本壮吉氏を紹介され、衣装部助手として『家政婦は見た!』第1作に参加して修業することに。撮影前の衣装を誤って返却する失敗もあり「東大生は使えない」と散々に言われたが、大女優の故・吉行和子さんだけは優しく接してくれたという。
「受験勉強だけでなく、何事もやり方を知らないとできないってことを知るわけだよ」
映画製作にかかるフィルム代は高額で、気づけば100万円の借金。そんなとき、アイドルイベントの取材で知り合った編集者たちが「家庭教師より割がいいかも」とライターの仕事をすすめてくれた。
当時、毎週100万部以上を売っていた『週刊プレイボーイ』と創刊間もない『CanCam』の編集部でアルバイトを開始。そこでも、効率重視のスタイルを貫いた。
「『CanCam』では女子大生に登場してもらう企画をやってた。取材費で週に3、4回、いろんな女の子とデートして、話を聞き出し、『週プレ』では女子大生の好きなスポットやギャル用語の記事を書いてたんだよ」
当時『週プレ』編集長だった島地勝彦さん(84)は、和田さんを「突き抜けてたね」と評する。
「女子大生10人集めてディスカッションしてくれない?って言うと、“はい、わかりました”ってすぐやってくれた。普通のやつは集められないよ。和田の最大の武器は“東大医学部という肩書”。相手は安心するしね。でも悪さはしなかった、あいつ、紳士だったから」
和田さんは編集部で働く傍ら、灘高で培った要領重視の勉強法を広めようと受験塾「鉄緑会」を立ち上げた。きっかけは、東大進学率が低い高校に通う弟が「僕の成績が悪いのは学校のせい」と漏らしたこと。そこで独自の教え方で東大文科一類合格へ導いたという。
「突破する力は根性じゃなくやり方。遺伝や家庭の収入より、効率よく努力すれば誰でも道は開けると証明したかったんだ」
塾はやがてスパルタ式に変わり、要領重視のポリシーと合わなくなった。本人は「追い出されちゃった」と笑うが、主義が違えば、きっぱり決別し、別の道へ突き進むのも和田さんの流儀だ。

















