父との思い出
父との印象的だった思い出について聞くと、
「父は自由な人でした。好きなように生きて、好きなように死んでいった。妻子があっっても、生活は独身男性みたいなもので。父は群れるのがあまり好きではなく、基本的に母と一緒にいるか、1人で仕事をしていました。
いつも家にいなかったので一般家庭のお父さんのように、毎週末にキャッチボールやサッカーをすることはなく、会話も特になかったです」
しかし、'18年ごろから会話をする機会が増えた。
「その年に私が独立をして、同じようなフィールドで仕事をする機会が増えました。番組の収録が前後したりすると、その合間に時事ネタを雑談したり。お互いに政治経済の分野にいるので、株や政治の話といった、いわゆるニュースの話題が多かったです」
余命3か月と宣告されたのは、亡くなる約1年前。家族は覚悟を決めていた。
「亡くなっても泣き崩れるようなことはなかったです。ついに来るべき日が来たか、という感覚でした。本人は、やりたいことをいっぱいやって亡くなっているので、悔いもあまりないとは思います。
ただ、大学のゼミをすごく大事にしており、今のゼミ生の卒業式には出たいと言っていました。悔いがあるとすれば、その卒業式に出られなかったことかなと思います」
康平さんは、過去に父と仕事をしたことがある人たちから「仕事に対する考え方が似ている」と、よく言われるそう。直接、何かを教わったり影響を受けたとの自覚はないが、父子なんだなと感じるときも。森永さんの遺志は、確実に引き継がれているようだ。










