豊臣一族でサイパン旅行に
─雅俊さんは『ふれあい』『俺たちの旅』などがヒットして、ずっと歌手と俳優の二本柱ですよね。
「スケジュールを考えると寝不足になるからと思うんだけど、ついみんなで飲みに行ってしまって。楽しさを優先してた感じです。まだ29歳、体力もあったし元気でした。
あと、本当に当時ならではの話ですが、よくNHKの小道具室に行ってましたね。食べ物とかの用意があって、撮影終わりに余ったイカを小道具さんからいただいて焼いて食べたり、ビール飲んだりしていましたね(笑)」
─放送終了後も交流が?
「次の年にみんなでサイパン旅行に行きましたからね。橋田さんも旦那さんを連れてきて、まさに豊臣家で行きました。そういうとき中心になるのは(泉)ピン子さん。役者って段取りするとか、みんな集めて幹事やるとか得意じゃないじゃないですか。いつも人(マネージャー)にまかせてるから。でも、ピン子さんは仕切れる人なんです。
俺と西田さんと2人で初めてウインドサーフィンやったときは、流されて岸に戻れなくなっちゃって“レスキューーーー!”ってのもありました(笑)」
─西田さんとは同じ東北出身。気が合うんでしょうね。
「そうですね。ええっ!? と驚かれるかもしれませんが、俺らスタジオの中でよく歌を歌ってました。セットが広くて部屋がいっぱいあるんで、歌っててもあんまり迷惑じゃないんですよ。
だいたいザ・スパイダースの『ノー・ノー・ボーイ』とかハモリの歌ばかりを選曲して(笑)。“ノノ、ノノ、ボーイ、行ってもいいかい〜”とかってあるじゃないですか。俺がメロディーを歌って西田さんが3度上をハモってとか。で、出番で呼ばれたら撮影に戻る(笑)」
─年齢は3歳違いで。
「俺はデビューが青春ドラマ(1974年の『われら青春!』)で、その後も青春ドラマが続いて、出演者がだいたい一緒だったんです。年上の役者さんっていうと穂積隆信さん、柳生博さん、名古屋章さんとか。だから、この人ともあの人とも共演したっていう幅の広さがなくて……。
時代の風潮としても一匹狼的な生き方っていうのがあったんで、無意識のうちに人と違う格好して、人と違う生き方しなきゃみたいな。それで下駄履いてたわけじゃないんだけど(笑)。そういう意味では、同年代の役者仲間とは、そんなに仲良くなってないんですよね。
でも、西田さんは特別な人。スーッとね、誰の懐にも入ってくる。何やっても受け入れてくれるし、芝居も上手で一緒にやっててすごく楽しい」

















