茂木健一郎氏に魅せられて
上智大学では物理を専攻し、将来は科学者を目指していた。しかし大学院を探して、東京工業大学(現・東京科学大学)の説明会に行き、脳科学者の茂木健一郎さんの話を聞いたとき、人生が変わった。
「お話が強烈に面白かったんです。脳科学が明らかにする人間社会の真実みたいな分野に興味が湧いてきたんです」
当時、数式だけで真実を追い求めることに疑問を感じていた恩蔵さんは、自分がやりたいのは、これだと思った。
「脳科学には、私が大好きな物理や科学、文学、さらには絵もつながっていると思ったんです。茂木さんに、絵を最近やっていないと言うと、『なんでやめちゃうの。やりたいことは全部やったらいいんだよ』と言われて。おかげで、欲望のままに動く赤鬼に戻れたんです(笑)」
研究テーマを何にするかは研究者にとって重要な問題だ。判断に迷っていると、茂木さんに「いちばん苦手なことをテーマに選ぶといいよ。君の場合、感情とか」と助言された。確かに中学時代のトラウマ以降、自尊心が強くなり、他人からどう見られるのかをずっと気にしてきた。そこで感情や自意識をテーマに選び、博士論文を書くことにした。
卒業後は研究者として、さらにテーマを絞る必要があるが、決めきれず、周囲からは“いつまでも研究室にいる謎の人”と見られるように。母親からも就職しなさい、結婚はどう?と心配された。気づけば、9年迷走していた。
その間、茂木さんの話を本にまとめる仕事をしつつ、文章修業をした。自分にとっての切実な問題を科学しながら文章を書くという夢を持っていた恩蔵さんにとって、貴重な時間だったが、行き詰まりからは抜け出せないでいた。
母に寄り添い、認知症と感情を研究
そんなときである、母親が認知症になったのは。恩蔵さんは図らずも、母親を介護しながら認知症における感情を見つめることになる。
「海馬の隣に感情をつかさどる扁桃体という部位があるんです。母の海馬が萎縮していたので、感情を動かして扁桃体を刺激すれば、海馬も刺激され、覚えられることはまだあるのではないかと考えました。それが料理であり散歩であり、もうひとつは旅行だったのです」
青森・ねぶた祭、秋田の竿燈まつり、新潟・長岡花火、海外もハワイのキラウエア火山など、いろいろなところに行った。
恩蔵さんは料理や旅行を一緒に楽しみつつ、一方では母親の行動、娘として嫌だと思ったことなどを記録し、それらが脳科学の視点からなぜ起きたのかを分析していった。あるときは文献をひもとき、あるときは脳科学者仲間にも母の情報を共有して議論した。すると不可解だった行動の理由がわかり、どう接すればいいのかが見え、心のモヤモヤも解消していった。
例えば、娘である自分の誕生日を忘れてしまったことに、恩蔵さんはショックを受けた。
「子どもが生まれるということは、人生の中で最も感情が動く体験のひとつで、感情が動いた体験は忘れにくいとされているのに、母はなぜ忘れたのか……理解できなかったのです」
行き着いたのは、日付(数字)は健常の人でも忘れやすいという捉え方。しかも「覚えている?」などとプレッシャーをかけると、ますます思い出せなくなってしまう。
恩蔵さんの名前を「ふみこ」と間違えて呼んだことにもかなり衝撃を受けた。これに関しての考察はこうだ。
「“ふみこ”とは、親戚の人で、母が大事に思っている存在なんです。娘もふみこさんも大事なので、取り違えてしまったようです。本当に忘れられたわけじゃないということがわかりました」
家族だけの在宅介護では難しいと考え、診断から3年たった'18年ごろからデイサービスの利用を始めた。だが、その矢先に母親が施設を抜け出し、約6時間行方不明になるという事件が起きる。
「理由は、なぜここに連れてこられたかを忘れてしまったからです。知らない場所だから、自宅に帰らなければと思ったようです」
自宅に向かう道を歩いているところを見つけ、連れ帰ったが、後日談がある。
「父が時々利用するファミレスに行ったら、『この前、奥様が1人でいらしていましたよ。ずっと窓の外を眺めていました。ご主人が来られるのを待っていたのではないでしょうか』と。お金を持っていなかったので何も注文しなかったのに、何時間も待たせてくれたファミレスには感謝しています。母はかなり不安だったと思います。それにしてもひたすら待つ姿は、私が母を安全基地だと感じた小学4年生のときの自分とそっくりだなと思いました」


















