研究者としての転機
2004年に医療観察法が成立した。精神障害のある人が重大な犯罪を行い、心神喪失や心神耗弱で不起訴や無罪になった場合、専門的な医療や地域社会の援助を受けることになった。それに伴って、NCNPに司法精神医学研究部ができ、常勤の研究者を募集していた。
「不安だったんですよ。九州の小さな大学から来たのですが、それなりに信頼を得て、生きやすい環境を横浜市立大で手に入れたのに、そこを離れることは。根なし草になっちゃうかもと思い、学位をくれた教授に相談したら、『2、3年で戻っておいで』と言われました。僕もそのつもりでした。それなのに、気づいたらNCNPに20年もいます。NCNPに来てみると、こんなに情報あるの?って思って、離れにくくなっちゃった」
'07年には、NCNP内に「自殺予防総合対策センター」が設置された。当時、年間自殺者は3万人台が続いていた。そこで、議員立法で「自殺対策基本法」が制定され、センターの設立はそれを受けたものだ。センターも研究者を公募していたが、特に精神科医が集まらないでいた。そのため、白羽の矢が立った。自殺対策に関わるのも、松本さんが積極的に選択した結果ではなかった。
「そのときも上司に相談しました。『(センターに)行ってきたら』と言われました。でも、複雑な気持ちでした。『俺、要らないって言われているのか』と思っちゃったり。で、妻に相談したら、『いいじゃない』と言われて、センターに行ったんです。最初の1年は、司法精神医学研究部と兼任で、その後、自殺予防と薬物依存研究部と兼任でした」
センターでは、心理学的剖検という、遺族を情報源として、故人の人生や亡くなる直前の様子について聞き取る手法だ。「なぜその人は自殺したのか」を探った。
自傷と自殺研究の最前線へ
実は、自殺予防の仕事に携わる数年前、'00年ぐらいからリストカットの研究を始めていた。今では、依存症の患者と自傷行為や自殺を結びつけることがあるが、当時は、教科書的文献には載っていなかった。のちに、その成果は『自傷の文化精神医学』(金剛出版、2009年)という訳書や、著書『自傷行為の理解と援助』(日本評論社、2009年)に著され、いずれも先駆的な書籍になった。
「'00年当時、依存症の患者さんたち、特に若い女性の薬物依存の人を診ていると、リストカットや自殺も多かった。患者さんから“南条あやさんの『卒業式まで死にません』(新潮社、2000年)という本を読みました?”と聞かれました。
“とにかくあの本を読んでから私に向き合ってください”と言われたことも。このころから、精神科に来る人たちが一気に変わってきたんです。だから客観的なデータで何が言えるかを研究してみようと思って、英語の論文も書いていた。当初は司法精神医学と関係ないと思っていたので隠していましたが、どこかでバレちゃって(笑)」
依存症と自殺。どんなところでつながっているのか。
「今の依存症の治療の考え方にものすごく影響を与えた気がします。依存症の人たちって、多くが亡くなっているんですよ。僕らは過去に『お酒や薬をやめなかったら治療が始まらない』って言っていたんです。でも、その言葉は、亡くなったら意味がない。だから、『やめなくてもいいから死ぬのはやめよう』という考え方につながっていきました」
この考えは「ハームリダクション」と言われている。お酒や薬をやめられないときに、そのダメージを減らすことを目的にした公衆衛生政策理念のことを言う。
「そうした考えは、自殺した人の研究でわかってきました。遺族の話を聞いていると、目標設定を下げてあげれば、そんなに自分を責めなくてもよかった、と思うことはあります。あとは、医療以外の社会資源やネットワークの使い方やつながりはすごいと思いました」


















