目次
Page 1
Page 2
松山照紀さん…1962年生まれ。臨済宗妙心寺派松壽山不徹寺住職。48歳で出家し現在は尼僧庵不徹寺の庵主を務める。懐石勉強会、お香の会、被災地支援、修行体験の受け入れなど、活動は多岐にわたる。
「より良く生きるためにも、いつか自分は死ぬということを意識し、やり残したことはないかよく問うて、自分らしい人生を送っていただきたいです」
そう話すのは、臨済宗妙心寺派の僧侶・松山照紀さんだ。尼僧が建立した松壽山不徹寺は、悩める女性の駆け込み寺として知られる。ここで庵主を務める松山さんもまた、波瀾万丈の人生を歩んできた。
離婚、病、介護を越えて仏門へと……
20歳で学生結婚し、出産。その後、離婚を経て看護師になり、祖母・母・2人の娘という一家5人の生計をひとりで支えてきた。
「置かれた状況の中で一生懸命生きただけですよ。幼い子どもがいると就職すら難しく、生きる手段として看護師を選んだだけ。働きながら准看護師の資格を取ろうと、朝5時半には家を出て、病院での勤務や実習、夜学で勉強もしました。その合間には子育てと、認知症の祖母の面倒も見ていたので、当時の自分はいつ寝ていたのか、記憶にありません」(松山さん、以下同)
そんな中でも休日はホスピスでボランティアを行うほか、死生学の学者であるアルフォンス・デーケン氏のセミナーに赴くなど、精力的に動き回った。
「特にインドにあるマザー・テレサが立ち上げた慈善施設を訪れ、死に直面する人々は何を思い、望むのかを見届けたのは印象深いです」
人種や地位や信仰する宗教にかかわらず、瀕死の状態にある人々を看取る施設。そこで目にしたものは、大きな気づきとなった。
「人々は最期に、人間愛を求めているのだと思いました。どんな自分であろうと無条件に受け入れてくれる場所。そこにいる安心感を、彼らから感じました。ただ、死に対する思いなどは日本と異なる点も多く、文化・民俗学・哲学・宗教・医学など、もっと膨大な勉強をしなければ、死生学は学べないなと」






















