今はすべて「途中の出来事」

 何より瑛太くんとの約束を果たすことができて、父子の絆は強まったのは間違いない。しかし、震災当時は小学生だった瑛太くんも成長し、思春期に。父子関係は微妙な局面を迎える。

「仮設住宅で6年間、一枚の布団で一緒に寝ていたんです。最初はかわいい、かわいいで一緒に寝ていましたが、中学生にもなると互いにうっとうしくなる。布団をとるな、こっちに寄るな、なんて言い合うわけですよ。

 あれは息子が中学3年生のとき。東京の高校に行くと決めて受験勉強中だったある日、仮設住宅にネズミが出たんです。ネズミ捕りを仕掛けても、なかなか引っかからない。でもある夜、息子と帰ってきたらネズミが引っかかっていた! それを発見したときは、思わず息子とヤッターって手を取り合いました。男と男の握手です。そんななか受験も終わり、合格通知が届いた。そして、息子とここにいるのも、あと何日だってカウントダウンに入ったんです。そのとき、もしかしたら俺たちは世界一幸せな親子なのかなって、突然思ったんです。世間からすると同情しかないかもしれないけれど、当の本人たちからすると、この仮設住宅はすごくいい思い出というか、親子にとって最高の時間だったなと」

 このころから千葉さんの中に「今を楽しもう」という気持ちが芽生える。

「息子にもよく言うんです。震災で一生分、嫌なことを味わったけど、このままでは終わらない。今やっていることはすべて、あとから全部いい思い出になる。だから今を楽しもう。とにかく自分のやりたいことを全うしようってね」

 震災後15年、今も通過点でしかないと語る千葉さんだが、話すうちに「俺、よくやってきたな」と思わず漏らす。

「やっぱり自分の中で、負けない、諦めないというのがあった。いつかゴールがあるなら、今はすべて途中の出来事。だから、どんなにつらいことがあっても、その先に明るいことが絶対にあるって。そう動いてきた結果、自分が予想もしていなかったことも実現できたんです」

 それは、この本の出版もしかりという。

「震災後、いちばん苦しいときに、当時100歳の詩人と呼ばれた柴田トヨさんの詩集に救われて、本の読者はがきに思いの丈を書いて送ったんです。そのはがきを受け取った担当編集の方が、今回、この本を企画してくださった。すごい巡り合いだと思います」

 この本は、「すべての人に読んでほしい」と力を込める。

全世界、悩みのない人はいない。それなのに当時の私は、自分だけがつらい思いをしていると思っていた。でも、みんなそれぞれが悩みを抱えていて、それは比べられるものではありません。だから私は、『一緒に乗り越えよう』と言いたい。今、日本中で災害が起こっていて、これからも起こるでしょう。これまで多くの方からいただいた恩を、今度は次の人に返す“恩送り”をしたいですね」

 失ったものも大きかったけれど、得たものも大きかったのでしょうか? 最後に尋ねると、「そう思います」と笑顔で答えてくれた。

千葉清英さん 株式会社千葉一商事代表取締役社長。「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」運営者。1969年、東京都生まれ。1998年に結婚し、妻の実家がある宮城県気仙沼市に移住。2003年、(株)千葉一商事に入社し、2009年に代表取締役就任。2011年3月11日に発生した東日本大震災で7人の家族を亡くす。2014年に「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」をオープン。東日本大震災の体験、防災の大切さを伝えるため、講演活動などを行っている。
千葉清英さん 株式会社千葉一商事代表取締役社長。「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」運営者。1969年、東京都生まれ。1998年に結婚し、妻の実家がある宮城県気仙沼市に移住。2003年、(株)千葉一商事に入社し、2009年に代表取締役就任。2011年3月11日に発生した東日本大震災で7人の家族を亡くす。2014年に「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」をオープン。東日本大震災の体験、防災の大切さを伝えるため、講演活動などを行っている。
【写真】被災地に希望を灯した千葉さんのバッティングセンター
『夜明けのバッティングセンター 3.11で7人の家族を失った息子と私の15年』千葉清英・著、藤澤志穂子・協力 草思社 税込み1980円 震災の記録であると同時に、失意の底から「生き直す」ことを選んだ父と息子の物語。※画像をクリックするとAmazonの商品ページにジャンプします

取材・文/池田純子