「孤独な日々でした」涙、涙のリハビリ生活
アナウンサーという「言葉のプロ」にとって、言葉を失うことはアイデンティティーを失うことに等しい。
「相手の言葉もわからない。話そうにも『あー』とか『うー』という声しか出せず、何も伝えられない。本当に孤独でした。
コミュニケーションは取れないし、自分の人生はどうなってしまうのだろうと、毎日泣いてばかりいました。脳梗塞による脳の損傷のため、感情をうまくコントロールできず、泣くのを抑えられなくなってしまったんです」
失語症によって、言葉がうまくしゃべれないだけでなく、文字や概念そのものが抜け落ち、読み書きすらできなくなった。意識が戻った翌日からは、リハビリが始まる。ひらがな、カタカナ、自分の名前を書く、あるいは九九を唱える。幼稚園児や小学生が取り組むようなドリルを一からやり直す日々。
「直後は1日2時間から始めて、転院してからは毎日5時間、地道に続けました。5時間もリハビリする人はいないよって言われるほど、必死でした」
脳に損傷を受け、右半身に麻痺が残る状態での訓練の大変さは想像に難くない。
「リハビリは脳にも肉体にもハードでした。当初は右側の口や身体の動きも悪かったので、本当に疲れました。文字を書くにも、もともと右利きのところを、最初は慣れない左手で書いていたのも大変で。でも今では右手でも書けるようになり、ついに両利きになったんですよ(笑)」
過酷な状況を乗り越えたのは、少しでも以前の状態に戻りたいという熱意だった。
「自分がアナウンサーだったことは、覚えていたんです。自分の名前は思い出せないのに、『しゃべる人』だったという記憶だけはあったんです。元に戻りたい、ただその一心でした」
リハビリ生活では、言語聴覚士の存在が大きな支えとなったという。
「彼女は本当に真剣に向き合ってくれました。普通は読めなくて詰まっていると答えを教えてくれるものですが、彼女は絶対に教えずに、僕が言葉をひねり出すまでずーっと待ってくれるんです。
入院した直後に『以前のように元に戻ることはありません』と言われたことがありました。その後、『間違っていましたね』、とおっしゃってくださったことが、自分にとっては努力の積み重ねが認められたようで、本当にうれしく感じました」
周囲から「上手だね」と褒められることが、何よりのモチベーションになったと語る。しかし、「しゃべれるようになってきた」という実感が持てるまでには、月日がかかった。

















