五九洛さんは見事な語り口で観客を引き込んだ。

新人のころは「二兎を追う者は一兎をも得ず」

道心寺では同じ室内に、ご本尊などの祭壇と落語の高座が設けられている
道心寺では同じ室内に、ご本尊などの祭壇と落語の高座が設けられている
【写真】「寝るときは手をつないでます」という夫の大治朗さんと

 今でこそ二刀流は、メジャーリーガーの大谷翔平選手の例もあって、ポジティブに捉えられることが増えたが、五九洛さんが新人のころは、「二兎を追う者は一兎をも得ず」とネガティブなイメージが強かった。

「前例がない。だからやる」

 これは社員教育の仕事をする父親がよく口にしていたアサヒビールの樋口廣太郎元会長の言葉だ。五九洛さんは、この教えを胸に、迷わずわが道を突き進む。

 本名は「鳴海ハトル」。NHKのドラマ『中学生日記』に出演していたので、この名前に覚えがある読者もいるかもしれない。1986年、静岡県で三姉妹の末っ子として生まれ、3歳からは愛知県で暮らした。

「小学4年のころ、国語の授業で狂言の一節を音読したら、先生から褒められたんです。そんな私に、劇団ひまわりの募集広告を見つけた母が、どう?とすすめてくれました」

 3年間、ドラマや舞台に出演したが、ある出来事を機に別の道を模索し始める。

「舞台で誰かがセリフを忘れると、責任のなすりつけ合いになることがあって。私は自己責任でできる仕事がいいなと思うようになったんです」

 まだ高校生だが、持ち前の行動力と切り替えの早さで、道を切り開こうとしていく。まず飛び込んだのが吉本興業の養成所NSC。だが、すぐ自分には合わないと悟る。次に浮かんだのが落語家だった。落語が大好きな両親の影響で、テレビでよく見ていたのだ。

 落語の世界を知りたいと、高校に通いながら単身、名古屋・大須演芸場の門を叩き、「寄席の手伝いをしながら勉強させてほしい」と頭を下げた。学生の熱意に押されたのか、席亭(経営者)も承諾。寄席の座布団など道具類を運んだり、客の呼び込みを買って出ることも。

 ところが高校2年生のとき、思わぬ問題に直面する。

 ある日、ネットカフェで落語のことを調べている合間に、自分の名前を検索したところ、「鳴海ハトル」という同姓同名の作家がいることを知ったのだ。しかもその作家、男性同士の性愛を描いた作品を出版しているではないか。

「いちばん大事にしてきたもの(名前)を汚されたみたいで、すごくショックでした」

 意を決し、出版社に自ら電話。著者の連絡先を聞き出し何度も抗議するが、家族から「うるせえんだよ、バーカ」と罵られる始末。弁護士に相談した結果、裁判をすることに。

 中学校の部活で、女子部員が男子部員にお茶くみをしなければならない決まりに抗議したハトルさんである。理不尽な問題を前に、黙ってなどいられなかった。

 この裁判、結局は和解となるのだが、心に負った傷は深く、“この名前でずっと生きていかなければいけないのか”と苦悩した。

 ふさぎ込む様子を心配してくれた友達にわけを話すと、「知ってたよ、ハトルちゃんはああいうことを描くんだと思ってた」と言われる。

「ショックでしたね。友達にもずっとそんな目で見られていたんだ、と。人間不信になりました」

 やがて死にたい、と思うようになる。その状態は1年ほど続いた。と同時に名前をつけた親に対しても否定的な感情が募っていく。当時、自殺予防の電話相談ボランティアをしていた母親に対しても。

「夜勤で出かける母を玄関で見送るんですが、死にそうになってる娘を目の前にして、あなたはほかの死にそうな人の話を聞くんだと、怒りとか悲しみみたいな感情がありました。口にすると親に心配かけるし、悩みは打ち明けていないので、当然母に伝わらないのはわかっているんです。でも、娘のことに気づかないのも、どやねん?と」