「シルクロードを旅したいね」

 一緒に歌ったコンサートでは、シルクロードの無銭旅の話を何度もした。砂漠でしばらく髪の毛を洗わないと、髪の毛が固まってライオンのようになりシャンプーするときに大変だった話をして会場を笑わせた。

「私は彼の野性の声を求めてやまない旅人感が大好きだった。“ねぇ、2人でシルクロードを旅したいね。2人で歌ってお金稼いで、気ままにさ”なんて話をしたこともありました(笑)

 阪神・淡路大震災のときは、避難所を回ってマイク一本で一緒に歌ったことも懐かしい思い出だという。

 そんな彼が、C型肝炎、高血圧などさまざまな不調を訴えて亡くなったのは、'01年4月16日、48歳のとき。

 亡くなる2日前まで歌い続けていた英五さん。彼が残してくれた温もりのある強さは、今もおトキさんの中で消えていない。

デビュー60年を超えても、ステージに立って歌う姿は変わらない加藤登紀子
デビュー60年を超えても、ステージに立って歌う姿は変わらない加藤登紀子
【写真】デビュー60年を超えても歌う姿は変わらない、加藤登紀子のステージショット

 '80年12月8日。元ザ・ビートルズのジョン・レノン射殺のニュースが世界中を駆け巡った。おトキさんも衝撃を受けたひとり。言葉を失った。

「ビートルズ解散を知ったころは、オノ・ヨーコ(93)という人の登場をうれしくないと思ったこともありました。

 ところが反ベトナム戦争運動のさなかに歌った『ギヴ・ピース・ア・チャンス』、'71年の『イマジン』。そして射殺される直前にリリースされたばかりの『ダブル・ファンタジー』などを聴いて、私はジョンと彼女の活動には心から感動しました

 ジョンが殺された翌年。中国でコンサートを開くことになったおトキさんは突然思い立ち、本人にたどり着くことはないだろうとは知りつつ、不安な胸の内を手紙に綴った。

 すると奇跡が起きる。なんとオノ・ヨーコから国際電話がかかってきたのだ。

あなたの手紙、読みました。ジョンが亡くなってから、1日で部屋がいっぱいになるくらい世界中から手紙が来てるの。でもなぜかあなたの手紙が私の目の前にあって、奇跡的に読んだんです。私たちは会ったほうがいいと思うのよ。よろしかったら、ニューヨークへいらっしゃらない?

 おトキさんは中国の北京、長春、ハルビンでのコンサートを無事に終えると、その足でニューヨークのロングアイランドへ飛んだ。

 この島には、ジョンとヨーコの間に息子のショーンが生まれた後、音楽活動をやめ隠遁生活を送るジョンを心配して、'79年秋に購入した別荘があった。

「あなた、刑務所の人と結婚した歌手でしょう?」

 余計な挨拶は何もなく、2人は手をつないで海の見える芝生に座って話し始めた。

あなたのご主人は壁を壊そうとしたのね。でも壁を壊すことは難しいのよ。みんな、それで傷ついたり、人生を台無しにしたりする。でも、人の心の窓は開けることができると思うの。ジョンと私はそれを願って行動してきたのよ

 その言葉が、今もおトキさんの心深くに刻まれている。