ジョン・レノン復活の秘話

 この別荘では、ファンの間でもあまり知られていないエピソードがある。

 ロングアイランドで過ごすようになったジョンは、海に出てヨットに乗るようになり、亡くなる年の6月には大きなクルーザーで北大西洋に浮かぶバミューダ諸島まで大航海を試みている。

 大きな嵐を乗り越えたジョンはバミューダ諸島で、あふれるように歌を作り始める。

これは何年も曲がまったく作れなかったジョンに、ミューズ(音楽の女神)が戻ってきた瞬間でもありました。毎日、電話で新しい曲をヨーコさんに聴かせ、ヨーコさんもこれに応えて歌を作る。

 これがジョンの復活を高らかに宣言したアルバム『ダブル・ファンタジー』の誕生秘話です。もしかしたらアイルランドからの移民だった船乗りの父親の魂が、ジョンを目覚めさせたのかもしれません

 短い人生の中で、最後まで自分自身を歌おうと格闘し、行動したジョン。歌は死を乗り越え生き続けることを、身をもって示してくれた。返す返すもジョンの死は、悲しすぎる。

自身にとって大切な思い出を、まるで昨日のことのようにみずみずしい言葉で語る加藤登紀子 撮影/佐藤靖彦
自身にとって大切な思い出を、まるで昨日のことのようにみずみずしい言葉で語る加藤登紀子 撮影/佐藤靖彦
【写真】デビュー60年を超えても歌う姿は変わらない、加藤登紀子のステージショット

 中島みゆき(74)との出会いのきっかけは、'75年10月。ヤマハのポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で『時代』を歌ってグランプリを獲得したみゆき。おトキさんは、画面いっぱいに映し出された彼女の顔を見て釘づけになった。

歌も素晴らしいが、それ以上に、存在から放たれるただならぬ気配に驚いた。これまでにこんなストレートな佇まいで、まっすぐテレビカメラに挑みかかる女性はいなかった。なんとすごい人が出てきたんだろう」

 そう思ったおトキさんは翌月、彼女を家に招いた。

「ギターを持って来てくれたみゆきさんは、昨日できたばかりの『夜風の中から』という、胸の底に染みるこの曲を歌ってくれました。ひっそりと静かな緊張感の中で向き合ったあの時間を、今も私は宝物のように思い出します」

 そんなおトキさんの心を再びみゆきが震わせたのは'78年、4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』をリリースしたときのことだ。

 そのアルバムに収められた『世情』を聴いておトキさんはじっとしていられなくなり、再び連絡を取った。食事の席で、

「何か私に歌を作ってくれませんか」

 と懇願。そして届いたのが『この空を飛べたら』という心震わせる名曲である。

 それにしてもおトキさんから何を受け止め、この歌を紡いだのか。北海道という極寒の地で生まれたからこその風景を、おトキさんの原点に重ねたのか。

「それからも会いたいな、とずっと思っている。でもこの歌がある限り、もう会わなくてもいいような気もして、いつの間にか時がたってしまいました。歌うたびに、みゆきさんの心には触れているから」

 濃密な時間を過ごした2人から生まれたこの思いを、おトキさんは今も大切にしている。