公園通りから竹下通りへ

 原宿のご当地グルメ=クレープというイメージをつくったのはマリオンクレープだ。その原宿の竹下通りに店を開いたのは1977年9月のことだったが、このときは現在の店舗があるビルの2階で、イスとテーブルを置いて営業が始まったという。

「原宿は文教地区で、当時は飲食店が出せなかったんです。それで本当に苦労して苦労して、翌年にようやく1階に1坪くらいの店を出せることになって。当時の竹下通りはまだ全然何もなかったんですよ。でも原宿には人が集まり始めていて、有名だったんです。それからマリオンクレープがあるビルの大家が、私のパリ時代の友人の奥さんの親で、それもあって原宿に出そうと思っていたんです」

 同じころ、演劇集団・安部公房スタジオで俳優として芝居の稽古をしていたのが、かつて株式会社マリオンで取締役を務めた寺田亘(74)だ。

「安部公房スタジオは公園通りにある山手教会の地下に稽古場があったんです。そのときに『クレープってのが近所で売ってるよ』とみんなで話していて」

マリオンクレープ第1号店(上・マリオンクレープHPより)
マリオンクレープ第1号店(上・マリオンクレープHPより)
【写真】「食べ歩き」の礎、創業50周年を迎えたマリオンクレープの“第1号店”

 1977年に劇団を退団した寺田は、大学の先輩から「これからどうするんだ」と声をかけられた。その先輩は岸のフランス時代からの友人で、マリオンで働いてくれる人を紹介してほしいと頼まれていたのだ。寺田が「あのときの食べ物か」と思って面接へ行くと、岸は「明日から来てくれ」と即決、すぐに原宿店で働き始める。この寺田の人脈で、役者などを目指す若者がマリオンに集まったという。

「岸さんは文化的な面に非常に理解がある方で、僕が入るようになってからは、演劇の後輩などに声をかけて、大勢の人たちにアルバイトに来てもらうようになりました。それを岸さんは『面白いやつがいっぱいいるんだよ』と楽しそうに自慢されてましたね」

 寺田の人脈で働いたのが、現在はマリオンから独立し、西新宿で「クレープリー・シェルズ・レイ」を営む俳優の吉岡祐一(71)だ。吉岡がNHK連続テレビ小説『おしん』の主人公おしんの兄役に決まったとき、山形出身の岸はとても喜び、ドラマを楽しみに見てくれたという。

「マリオンではオーディションとか撮影や舞台のスケジュールを優先して、シフトを融通してくれたんです。僕はマリオンの車で渋谷のNHKまで『おしん』の台本を取りに行ってたんですよ。そういうことも許してくれたし、岸さんは芸術志向で本もいっぱい読んでいて、芝居も大好きだから、まったく経営者っていう感じじゃなくて。仕事も現場に任せてくれて、好きにやらせてもらえました」

 マリオンでは俳優の浅野和之、社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」の渡部又兵衛さんらも働いたという。岸は彼らについて、こう語る。

「やっぱり寿司屋と同じで、クレープも同じように目の前で作るわけですよね。お客さんはそれを見る。そうしたら、面白いほうがいいじゃないですか。役者と同じなんですよ。私は面白い人を集めて面白いことをやるのが好きで、それでいろんなことができたんです」

 原宿店では新メニューとして提供した、ホイップクリームやアイスクリームにバナナやイチゴなどのフルーツやチョコレートを使ったクレープが大人気となった。これもフランスにはなかった味わいであり、扇形に畳んで赤と白のチェック柄がデザインされた紙のスリーブに入れて食べるスタイルは、原宿を象徴するものとなった。

 1979年、マリオンと同じビルに「ブティック竹の子」がオープン。歩行者天国で踊る集団が竹の子族と呼ばれ、街は彼らを見に来る若者であふれた。その後1980年~'90年代には竹下通りにタレントショップが軒を連ね、バンドブームなどもあって、原宿は全国から人が集まる街へと変貌していった。岸もここまで有名な通りになるとは「全然思っていなかった」と笑うが、読みはピタリと当たった。