とっさのひらめきで出た「クレープ」

 帰国して岸が最初にやったことは、フランス行きをすすめてくれた林さんに報告することだった。

「林さんはなかなか短気な人でね、怒るんですよ(笑)。だから一緒に報告へ行ってくれた林さんの息子から『どのぐらい勉強してきたかって聞くと思うから、ちゃんと答えろよな』と言われて。

 それで案の定『何を学んできたんだ』と聞かれたので、共同通信での仕事のことを話したら『それはよかったじゃないか。だけど今後どうするんだ? フランスで学んできたら、何かあるだろう?』と……それで本当に何もなくて、困っちゃって」

 とっさに岸の頭に浮かんだのは、秋のパリの風物詩である焼き栗と、街で売られていたクレープだった。

「『それを日本に持ってきたら面白いんじゃないか』と言ったら、林さんが『クレープをやれ』って。ご自分も知っているものだったんでしょう、それで『そのままフランス式でやるのか?』と聞かれたので、私は『もっと簡単にやりたいんです』と答えたんです。フランスでは持ち帰りのクレープは新聞紙で巻いてあって、歩きながら食べたりはしないんですが、そういうふうにやろうというイメージがそのときに湧いてきたんです」

 15歳からマリオンクレープでアルバイトを始め、現在は株式会社マリオンの常務取締役を務める中条幹夫(53)は、岸のひらめきについて「岸には私たちにはない脳の回路があって、何かが見えて言っているんだろうなということがあるんです。『え?』と思うときもいっぱいありますが(笑)。基本的には優しくて、失敗に対して寛容な人です。

『しゃあねぇじゃん』と言ってくれるので、私もこれまでいろいろとチャレンジさせてもらいました。皆さん口をそろえて岸のことを“天才”と言いますが、一緒にいるとそれがよくわかりますね」

 岸の経験とひらめきから始まったクレープ作りは、学生時代からの友人を巻き込んで始まった。

「自分ではクレープは作れないから、慶應の同級生の友達というマキシム・ド・パリで働いていたコックを紹介してもらって。それから母が亡くなったときに航空券を手配してくれた友人にも声をかけて、会社をつくりました」

マリオンクレープのクレープは50年たった今でも若者に愛されるスイーツに
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【写真】「食べ歩き」の礎、創業50周年を迎えたマリオンクレープの“第1号店”

 岸はすぐに、コックと、紹介してくれた慶應の同級生と共にクレープの本場、ブルターニュへ向かう。

「私はそれまで食べたことはあったけど、作り方はわからない。コックはクレープなんか作ったことがない。でもコックはプロだから、焼いているのを見たり食べたりすると、どうやって作るのかすぐわかっちゃうんですよね。

 お店では作り方を聞いたり、どんなメニューがあるのかを頭に入れるようコックに頼んで、約5日間、みんなでクレープを分けながら食べました。その旅の間に『立ち食いで、こうやって出そうよ』という話をしたりして、話がまとまっていったわけです」

 どこで店を開くのかは岸に任された。実は当初、知り合いのつてで鉄道弘済会に話を持ちかけ、当時の国鉄の駅構内で販売する方向で話が進んでいたという。しかし突然トラブルが発生し、話はご破算に。振り出しに戻った岸は知恵を絞り、ひらめいたのが渋谷の公園通りだった。

「なぜかっていうと、やっぱり公園通りって、あのときいちばんよかったわけですよ。通りとしていちばんシャレてると。そこしかないだろう、なんとしてもそこを押さえようと思って行ってみたら、ちょうど通り沿いに駐車場があったんです。

 そこを貸してくれないかと大家を探したら、偶然それが私の知り合いだったんですよ。大家からは『建物が建つ予定だから、2年か3年だよ』と言われて、通り沿いに止まっていた車に場所をかわってもらって、2台分借りたんです」

 1976年9月、渋谷パルコの隣の駐車場の一角に幌馬車を模した真っ赤なワゴンが置かれた。マリオンクレープ開店である。幌馬車は後に画家となった林の息子がデザインした。

「幌馬車にしたのは、その年がちょうどアメリカの建国200年祭だったからです。パレードなどで開拓時代に使われた幌馬車がニュースなどで流れるはずだから、同じようなものがあれば人目を引くだろうと考えたわけです。私はリヤカーにちょっと毛が生えたようなものだと思っていたんですが、立派なものができちゃった(笑)」

「マリオン」の名前は岸の妻の友人の名前から拝借、メニューにはカスタードやジャム、リキュールなどを使ったフランス式のシンプルなクレープが並び、新聞紙ではなく色紙に包んで食べるスタイルで提供したという。店にはすぐに行列ができて、メディアでも取り上げられ注目を集めた。その後マリオンはお茶ノ水や高田馬場への出店を経て、いよいよ原宿へと進出する。