地域包括ケアの実現のため再び医療の道に

 三重県四日市市にある「いしが在宅ケアクリニック」で約1年半働き、在宅医療を学んだ。'16年には、東京・江戸川区にある在宅診療所から誘いを受け、院長に就任。ただ、2年たたないうちに経営者との意見の食い違いが表面化。当時、同じクリニックに勤務していた看護師・濱本博子さん(現・しろひげファミリー訪問看護ステーション訪問看護事業部長)は次のように回想する。

「山中先生は、大きな病院から院長として誘われていたんです。でも一緒に在宅診療所をつくりませんかと提案したら“やろう”と。その思いがあるんなら、借金してでもやるよと言ってくれたんです

 そこから急ピッチで診療所開設に向けた準備が始まった。そして'18年10月、江戸川区で診療をスタート。設立メンバーは、山中さんのほかに、看護師3人、事務職員とドライバーなど3人の計7人だった。

 ちなみに「しろひげ」には、2つの物語へのオマージュが込められている。貧しい人々に尽くす医師を描いた名作映画『赤ひげ』、そして漫画『ONE PIECE』では「白ひげ海賊団」率いるエドワード・ニューゲートが隊員たちを「息子」と呼んで家族のように大事にした。診療所の医療法人名を「しろひげファミリー」としているのも、患者さんを家族だと位置づけているからだ。

“家族の社会化”って大事だと思っているんです。家族が必死でやらないと介護ができないようでは長続きしない。また都内では独居世帯が多いから、もし健康を損ねたら、誰かが介護の手を差し伸べなければ生きていけない。だから家族の代替機能を地域の中でつくらないといけないんです。それを私たちが担うという思いも込めています」

ほぼ一日中、患者宅を診療車で回る。「しろひげ在宅診療所」を始めたころは休みなしで睡眠時間も数時間だった
ほぼ一日中、患者宅を診療車で回る。「しろひげ在宅診療所」を始めたころは休みなしで睡眠時間も数時間だった
【写真】年間2000人超の患者を診察、山中さんの『しろひげ在宅診療所』

 開所して間もなくは、患者の獲得に苦労するものだが、「しろひげ」は違った。山中さんが以前、担当した患者が引き続き診察してほしいとついてきたのだ。地元のケアマネジャーは、山中さんの誠実な仕事ぶりや濱本さんたち看護師の実力を評価していたので、患者さんや家族に「しろひげ」をすすめた。結果、開院間もない段階で患者数は約100人となった。

 それでも医師は山中さん1人。とにかく激務だった。濱本さんによれば、朝8時に始まった診療が夜9時になっても終わらないことは珍しくなかった。しかも深夜2時、早朝4時に来てほしいと連絡が入ることもあったという。

「車内でカルテを書きながらぐったりしている姿をよく見ましたね。でも患者さんの前に行くとシャキッとしている。患者さんには“いつでも電話してきていいよ。いつでも僕がいるからね”って言うんです。そうすると患者さんはその言葉をお守りにして、次の診察まで頑張れるんです。“院長、優しいなぁ”と思って、そのときは涙がこぼれそうになりました」(濱本さん)

 そんな状況でも新患の問い合わせが入る。濱本さんが「キャパオーバーになるので、お断りしてはどうですか」と言うと、山中さんは語った。

「いや、ダメだ。断ったら信用を失うよ。われわれのことを信用して連絡をくださっているんだから」

 2年後の2020年、医師1人体制では対応できなくなり、ついに医師を雇うことにした。いちばん難しいのは、山中さんと同じぐらいの覚悟と責任感、そして技量で診察にあたれるかということだ。

 山中さんが考えたのは、医師、看護師、事務職員やドライバーなどを常勤職員として雇うこと。パートタイマーなどを使えば、経費削減につながるはずだが、あえて常勤スタッフにした。ほかの在宅診療所では、夜間の緊急往診にバイト・非常勤医師が対応するも、それまでの経緯などが十分わからず、また診察に懸ける覚悟もないため、安易に救急車を呼ぶなどの例を見聞きしてきたからだ。