目次
Page 1
ー 「自然児」に育った幼少期
Page 2
ー 音楽は常に隣にあった
Page 3
ー 親や環境に甘えないハングリー精神
Page 4
ー 「アイドル像」に抗う“くそまじめ”な少女
Page 5
ー 限界を迎えて、スタジオから脱走
Page 6
ー 同級生との運命的な再会
Page 7
ー 復帰後の変化、ブレない想い

 夏のある日の昼下がり。彼女は待ち合わせ場所に、Tシャツにパンツという軽装でさらりと現れた。

「暑いですね」と微笑み、水をひと口。自転車か徒歩での移動が多いと聞いて驚いたが、この日は「気が乗って歩いてきました」とニッコリ。いたずらっ子のような瞳でこちらを真っすぐに見た。

 本格的にソロ歌手としてデビューしてから40年を超えた荻野目洋子。デビュー7枚目のシングル『ダンシング・ヒーロー』が大ヒットし一躍、人気者になった。この曲は30年たって、再ブレイク。荻野目自身も驚いたそうだ。

「自然児」に育った幼少期

「こんなに長く愛される曲に巡り合えて幸せです。でも曲がヒットした後、やっぱりプレッシャーがつらかった時期もありましたね」

 結婚後は、子育て雑誌などのインタビュー以外、活動をきっぱり休止し、子育てに専念。徐々に仕事を再開し、現在はライブ活動をメインに、ラジオでパーソナリティーを務めるなど、家庭とのバランスを考えながら、ようやく納得したペースで仕事をこなしている。

 昨年まではILO(国際労働機関)のアンバサダーも務め、児童労働のない世界を目指して楽曲制作・提供や「出張授業」を通じた啓発活動にも取り組んだ。

「私、目標が決まると猪突猛進するタイプなんです。でも、仕事を再開した後は、努力は大切だけど、肩肘を張らなくなりました。楽しく生きていたい」

 荻野目は2歳違いの4人きょうだいの末っ子だ。姉2人と兄1人。次姉は女優の荻野目慶子である。

 彼女が生まれたのは千葉県だが、そこから埼玉、再び千葉、そして東京へと移り住んでいる。

「東京に家があったのに、子どもは自然の中で育てたいという父の方針で、私は千葉県で生まれたんです。母がユニークな人で、飽きっぽいのか、片づけが嫌になるのか、ある日突然、『引っ越そう』と言い出す(苦笑)。すると、家族がわりと従順にそれに従うというパターンでした」

 そんな環境に影響を受け、自由に野山を走り回る「自然児」に育つ。

「今も忘れられないのは埼玉時代に、家のすぐ前の児童公園に木登り用の木が設置されていたこと。10m、7m、5mくらいの3本があって、子どもが登れるよう枝も間引きしてあるんです。2歳違いの兄はいちばん高いのに登っていましたが、私は無理。でも5mの木にはよく登っていました。楽しかったなぁ。子どもの探究心や冒険心をくすぐるような環境でしたね」

 兄や姉たちが学校の友達と遊ぶようになると、荻野目は1人で虫の観察に励んだ。足元を歩くアリや蜘蛛、生きものがたくさんいるのを見てワクワクしたという。この原体験は強烈で、彼女は2020年に自ら作詞作曲した『虫のつぶやき』をウクレレの弾き語りで発表。NHK『みんなのうた』でも2か月にわたり、放送された。《生きるってことは痛みを知ること》《それでも明日はやってくるのさ》という歌詞に荻野目の人生観が垣間見える。