「うつ」や「燃え尽き症候群」を乗り越え
家事や育児を全面的にサポートしてくれた母の昌子。そんな母に認知症の兆候がハッキリと現れたのは、“腐ったお弁当事件”がきっかけだった。
「私が中学・高校の6年間、母が作ってくれたお弁当はクラスメイトがわざわざ覗きにくるほど、味はもちろん彩りも美しい豪華なものでした。ところが仕事で地方に行くときに、久々に手渡されたお弁当は、砂糖の味しかせず、しらすにはカビが。母の作ったものとは思えませんでした」
料理の味つけだけでなく鍋の空炊きや、吹きこぼれで火が消えたガス台からガスが漏れる。何度も転倒して右腕を骨折する。危険極まりない状態が続き、母を検査入院させると、なんと頭にテニスボール大ほどの腫瘍があることがわかった。
「腫瘍が脳の血管を圧迫して血圧も高く、明日逝ってもおかしくない状態ですと言われ、家族会議を開いた結果、わが家で最後を看取ることに決めました」
75歳になっていた母の在宅介護で、和津がまず力を入れたのが食事だった。
「脳腫瘍とわかるまで、私を執拗に責める母に対して、敵意を持ってしまったことへの罪の意識を、少しでも払拭しようとムキになって料理に力を入れていたのかもしれません」
やがて奇行がエスカレート。和津は荒れ狂う母の仕打ちに耐えながら、一体いつまでこの生活が続くのか、途方に暮れる日々を送る。
当時のことをフリーアナウンサーの永井美奈子はよく覚えている。
「渋谷の街中でバッタリ会った和津さんは、お母さんの介護疲れでげっそりとしていました。心配になって、知り合いの心療内科を紹介したことを覚えています」
母親は脳腫瘍が原因で老人性うつ病と唯一難病指定されている、攻撃性の強い認知症を発症していることが明らかになった。しかしこのときはまだ、和津自身が心の病に侵されていることに気がついてはいなかった。
24時間の介護ヘルパーをお願いすることになっても、和津の負担は減ることなく50代後半に入り、「抱え込み症候群」に陥って気がつけば“介護うつ”になっていた。
「番組に出演しても当たり障りのないコメントをするのが精いっぱい。クイズ番組に出演しても答えがまったく浮かばない。冷蔵庫を開けても何を作ればいいのかわからない。次第に心の中から喜び、悲しみ、感動といったすべての感情が消えていったんです」
うつの影響なのか庭の大きな木の枝を見て、
「あそこに行ったら楽になれる」
無意識に“死”と隣り合わせになったことも。58歳で母を見送り「燃え尽き症候群」に襲われて、元の自分に戻ることができなかった。
「うつが抜けるには、その病気になるまで積み重ねた年月の倍かかるといわれますが、私の場合は約13年という月日が必要でした」
和津の場合は引っ越して、環境をガラッと変えることで料理が作れるようになり、おしゃれをしようという意欲も湧いてきた。
「2017年、2人目の孫が生まれたクリスマス間近に、テレビのお笑い番組を見て思わず大笑い。そのとき、まるで胸につかえていたものが黒い塊となって“ポン”と音を立てて抜け出ていったような瞬間がありました。それが私のうつ抜けの瞬間でした」
◇ ◇ ◇
和津は最近、俳優の池畑慎之介、おもちゃコレクターの北原照久・旬子夫妻と麻雀卓を囲むのが楽しみのひとつ。
「和津さんはうつのときも、まったくそんなそぶりを見せませんでした。我慢強くて面倒見のいい和津さん。これからは健康第一で、自分のために時間を使って、好きなことをやってください」
長年の友人の旬子さんはそう話してくれた。孫ができてから優しいジイジに成長した夫との人生は、もうすぐ50年。そしてこれからもまだまだ続くのだから。
取材・文/島 右近 撮影/廣瀬靖士


















