「なすび、あきらめるな」

 帰国したなすびは、「みちのく潮風トレイル」という被災した東北の4県の沿岸部を歩くイベントに参加する。4か月にわたり900kmを徒歩でたどったのだ。

「東北の太平洋沿岸部のみなさんとの交流を通じて、僕のエベレスト挑戦が想像以上に浸透していたことを知りました。福島だけでなく他の県もそうでした」

「エベレスト応援してるよ」「なすび、あきらめるな」という声援に勇気づけられ、なすびは4度目のチャレンジを決意する。そして'16年5月16日。ベースキャンプを出発し最終アタック開始。6500メートル地点のキャンプ2に到着。17日、7000メートル地点のキャンプ3に到着。ここから20時間くらいかけ1000メートル上のキャンプ4を目指すのだ。

 18日夜、山頂アタックを開始。夜が明けると目前にエベレストの頂上が見えた。

 5月19日現地時間正午過ぎ。世界最高峰エベレスト8848メートル登頂に成功する。なすびは自撮りでビデオを回し、カメラに向かって語りかけた。

「エベレスト山頂です。なすびです。福島のみなさん、やりました! 福島に元気と勇気、夢と希望を! 紆余曲折、つらい時もありました。失敗の連続でした。でも、人間やればできるんです。福島は、東北は絶対復興します。僕がエベレストに登れたんです。奇跡は絶対に起こせます。東北のみなさん、これからも一緒に頑張っていきましょう。以上、エベレスト山頂から、なすびでした」

 本来、頂上で酸素マスクをはずしてはいけないのだが、なすびは頂上から何としても言葉を送りたかったのだ。

エベレスト山頂。「ふくしま」の法被を着て登頂した
エベレスト山頂。「ふくしま」の法被を着て登頂した
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「売名」という非難を被災地の方たちが否定してくれた

「最初にエベレスト登頂を目指したい、と言ったら“売名行為だ”とさんざん非難されました。僕がいくら“これは故郷を思ってのことなんです。僕は失うものはないけど、守りたいものがある。それが福島なんです。それを有言実行するための形なんです”と言ってもなかなか信じてもらえなかった。それは過去の電波少年のイメージのせいもあるでしょう。絶対ふざけているんだろう、とね。でも、地道に活動してきたことで、被災地のみなさんが“あれは売名行為なんかじゃない”と火消しをしてくれた。“知らないかもしれないけど、なすび君は本当に福島のために懸命にやってくれてます。本当のことを知ってほしい”と声を上げてくれた

 なすびは、懸賞生活の虚像と長年闘ってきた。しかし、今では懸賞生活があったから現在の自分があると言う。

「20年近くたった今、街を歩いていても“あ、なすびさん”と声をかけられる。これは奇跡じゃないかなと思う。テレビって忘れちゃうじゃないですか。それがみなさん鮮明に僕のことを覚えている。最初は重い十字架を背負ったもんだな、と思ってましたが、最近は懸賞生活があってよかったと改めて思えるようになりました。え? もう1度、懸賞生活やれと言われたら? そしたら僕はエベレストに100回登ります。あれだけは勘弁してください(笑)」

取材・文/小泉カツミ