工場や施設内の見学会「オープンハウス」に参加したことがある複数のユーザーが、「IKEUCHI ORGANICはこんなふうにタオルを作っている」と、今回の件とは無関係であることを発信したのだ。噂が千里を走るネット社会で、こういったファンの援護があることはブランドとして強い。

「ありがたいことです。まあ、僕らもそこまで情報を出しちゃっていいの? というぐらい裸になっていますから(笑)。それに、今治タオルの強みは104社分の個性があるということ。それを前面に出していけたら、もっと今治は強くなれる。そういう意味で今回の件は、転換点になるかもしれませんね」

父の葬儀で社長就任の挨拶

 今でこそ強いブランドを打ちたてたIKEUCHI ORGANICだが、決して順風満帆だったわけではない。池内さんが社長に就任したのは1983年、33歳のときのこと。創業者の父が急逝したため、予定していた訓練校に行く間もなく、就任の挨拶を行ったのは葬儀の場だった。

「会社を辞めて継ぐ意思を伝えてはいたのですが、何しろ急なことだったので。周りは困ったと思いますよ。何も知らない社長が帰って来たぞ!って。僕自身は“何もわからないけれど、しょうがないじゃん”という感じで、わりとドンとしていましたね」

1985年、新米社長時代
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 先代は職人が真剣に働いている場に遊び半分の人間が来るなというスタンスだったので、タオルの基本設計はもちろん、社員や取引先の人の顔もほとんどわからない。

「先代の机に残されていたのは5年分の薔薇日誌のみ。すごかったんですよ。工場の裏側が薔薇園で、5、6年連続で県知事賞をとっていました。そういう偏執的なところは、似ているかもしれません(笑)」 

 パソコンがない時代。そのころのタオルの設計は、数式計算を繰り返し、最短で半日以上かかるものだった。自称「イラチ(短気)」の池内さんにはそれが我慢できず、今では当たり前になったオフコンを業界で初めて導入。シミュレーションを重ねて糸の太さと風合いの相関関係を徹底的に頭に叩き込み、1日でも早くこの道のプロになるべく奮励した。

「たぶん、僕より年下でタオルの設計ができる社長は少ないんじゃないかな? ウチはIT化も早くて、1995年の秋には社内LANを引いていました。愛媛のコンピューター会社じゃできないっていうから、僕が本を見ながら(笑)」