そんな勇さんの必死の姿を学生の頃からずっと見ていた仕出し屋の社長が、とある自身の古くからの友人を勇さんに紹介してきたそうです。その方とは、都心の真ん中にオフィスを構えるある大手企業の関係者でした。

「仕出し屋の社長から呼ばれて、その方を紹介されたときに、“うちで働かないか”って声をかけてくれて、これはチャンスだと思ってすごくうれしかったんです。生きてればいいことってあるんだなって。そして今の企業に就職できたんです。正社員雇用で、すごく幸せで充実しています。僕、ずっとサラリーマンに憧れてましたから」

 勇さんは現在大手上場企業のトップ営業マンです。「サラリーマンなんて普通じゃん」と思いがちですが、幼少期より過酷な環境で育った勇さんにとって「普通」という称号はとても特別なものなのです。

 現在では、ごみ屋敷を離れ、賃貸マンションで母親の介護をしながら施設に通わせ、サラリーマン生活をしているといいます。

父親より母親のほうが「共依存」になりやすい

 近年言われるいわゆる「毒親」ですが、特に母親の場合に「親子の呪縛」を感じることが多々あります。「男は外で仕事」が当たり前の昭和世代の父親の場合は、子どもたちはある程度割り切って距離を置いた関係になることが多いのですが、母親の場合、一緒にいて苦しいのに“見捨てることができない”という思いが強くなり、ひどい場合には共依存になるという方もいます。

 “見捨てる”というふうに発想してしまうのが原因で、自分が受けた仕打ちを自分自身もしてしまったというふうに考えてしまい、かえって自分の心の傷に塩を塗ってしまうようです。

 現在は自分の力で夢に描いてきた「普通の生活」を手に入れて、充実した日々を送っているという勇さんですが、悪夢から解放されないでいるのを聞くと、心の傷は深く、癒えるまで先々まだまだ時間のかかることがわかります。

 人は経験と記憶の上に今があります。勇さんにとって、これから先の人生のテーマは「人の愛情を経験する」ことが重要で、それが傷口を治癒していくことになります。

 人生において誰かに甘えるという経験を積んでこなかった、1人ですべてを抱え込んできたことしかない勇さんにとって、少しでも心が軽くなるときが来るのがいつかはわかりませんが、今は安心して生きられる環境を手に入れたわけですから、少しずつでも人を頼り、人に甘え、人の愛情に触れるという経験を積んでいってほしいと願うばかりです。

 それが、せめても、寝ているときくらい心が解放されるための方法なのですから。