定例会には、渡辺さんや神達さんら男性介護者のほか、介護福祉士など支援者の姿も。なごやかな雰囲気で日ごろの思いを語らう
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 缶ビールやオードブルが並んだテーブルを、中年の男女10人ほどが囲む。渡辺さんが乾杯の音頭を取ると、会場がなごやかな空気に包まれた。

いないことにされないため、声をあげる

 東京都荒川区にある社会福祉協議会の一室では、2月半ばのある晩、「オヤジの会」の定例会が開かれていた。

 この日に集まったのは男性介護者3人のほか、介護福祉士や支援者たち。定例会は偶数月が夜、奇数月は日中に開かれ、男性介護者の勉強会や交流の場となっている。

 オヤジの会が発足したのは1994年と、男性介護者の会の中では老舗だ。その活動はメディアから注目され、参加者が相次いだ。同会の事務局を担当する神達五月雄さん(58)が、当時の様子を説明してくれた。

「ピーク時は30人ぐらい参加者がいて、自分の介護状況を説明するだけで時間切れになっていました」

 神達さんは荒川区の自宅で、うつ病の父親の介護を約3年、続いて歩行困難な母親の介護を約19年と、両親の在宅介護に人生の3分の1を費やした。

「母親に食事を作ると、いつもは美味しいと食べてくれるのですが、たまに“まずい”と憎まれ口を叩かれ、ケンカになったこともあります」

 在宅介護の過程では、営業担当だった保険会社も辞めざるをえなくなり、同じ業界で2回、転職を繰り返した。

 昨年暮れに91歳の母親を看取り、介護人生はとりあえずひと区切りついたが、現在は会の副会長として運営に携わっている。

 ピーク時に比べると、参加者が亡くなったり、介護が重篤化したりで人数が減った。男性介護者からはカリスマ的な存在だった会長も介護の状態が進行し、会に出席できなくなった。その影響で、新規の参加者もなかなか現れない。それでも会を続ける意義について、神達さんはこう言い切った。

「とにかく声をあげ続けないといけない。じゃないと、男性介護者たちがいないことにされてしまう」

 男性たちが主体となって発信しない限り、日本の介護を取り巻く現状は変わらない。いや、変えるべきだ。神達さんが発した言葉には、そんな思いがにじみ出ていた。

神達さんは20年以上の歳月を親の介護に費やしてきた

(取材・文/水谷竹秀)


水谷竹秀 ◎日本とアジアを拠点に活動するノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。カメラマン、新聞記者を経てフリー。開高健ノンフィクション賞を受賞した『日本を捨てた男たち』ほか著書多数