離婚する家庭が珍しくなくなった昨今、「お金がなくて離婚を諦める母親たち」がいます。そんな母親たちを、子どもたちはどんな気持ちで見つめているのでしょうか。自身も離婚経験を持ち、これまで“いろんな家族の形”を数多く取材してきたノンフィクションライター・大塚玲子さんに聞きました。

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「夫と別れたい、でも稼ぎがない。生活できなくなるから離婚を我慢している」という母親たち。昔からよくある話で、決して珍しいものではありません。 

 とはいえやはり、つらい話です。さまざまな環境で育った人たちから子どもの視点で話を聞かせてもらっていると、母親たちが「お金がないから」と離婚をあきらめる現実の重さが、身に染みて感じられます。 

 夫のギャンブルや暴力に悩んだ末に、ようやく行動を決意する母親母親にようやく笑顔が戻ることを期待する子ども。なのに母親はなぜか結局、父親のもとに戻ってしまう――。そんな両親を見つめる子どもの心は、複雑です。

生活保護だけは受けたくない
家出を断念し、病に倒れた母

 庸介さん(20代・仮名)の父親はギャンブル依存症でした。パチンコをやめられず、給料も家にあるお金も、あるだけパチンコに使ってしまいます。酒に弱く、酔うと普段よりいっそう支配的になり、母親や庸介さんを殴ることもたびたびありました。

 母親は一度だけ、家を出たことがあります。まだ小学生だった庸介さんを連れて、東京に住むきょうだいのもとへ身を寄せたのです。しかし、一週間ほど経って、母親は庸介さんと共に家へ帰ることに。庸介さんは、こう振り返ります。

「たぶん母は家を出たとき離婚を考えていたと思うんです。でも離婚したら生活できないと思ったんでしょう。生活保護だけは受けられない、受けたくないと母は言っていたので。それで家に戻ることにしたと思うんです」 

 庸介さんの母は気丈な人で、毎日、朝から晩までパートの仕事をしていました。でも、ひとりで庸介さんを育てていくことは自分にはできないと思ったようです。 

 それから約10年後、庸介さんが成人して間もなく、母親はがんで亡くなりました。長年の無理やストレスがたたったのでしょうか。

 もし、あのとき母が家に戻らず、父と離婚していれば――。もしお金の不安がなかったら、庸介さんのお母さんは無理に家に戻ることもなく、健康を害することもなかったかもしれません。

 それに、ひとり親家庭は所得に応じて児童扶養手当を受けられるので、生活保護まで受けなくても生活できたと思うのですが、母親はそのことを知らなかったのでしょうか。そもそも生活保護だって、そこまで無理をして忌避する必要はないはずです。

 この社会の「自助努力」を過度に賛美する風潮や、生活保護や手当の受給をタブー視する価値観が、庸介さんの母親の命を縮めてしまった面もあるように思えます。