今年1月に惜しまれつつ解散した石原プロモーション。昭和の大スター、故・石原裕次郎さんが創立した名門芸能事務所だ。その裕次郎さんにスカウトされ芸能界入りしたというのが俳優・神田正輝

「特技のスキーをしながらアルバイト暮らしをしていた神田さんが、23歳のときレストランで出会った裕次郎さんから“撮影の見学に来いよ”と言われたのがきっかけ。あれよあれよと素人のままドラマ出演が決まってデビューしちゃった、というのは有名な話です。『太陽にほえろ!』をはじめ数々のドラマに出演して渡哲也さん、舘ひろしさんとともに50年近く、『石原軍団』を中心で支えてきた人です。まぁ、世間的にはそれよりも松田聖子さんの“最初の夫”というイメージのほうがずっと強いでしょうけど」(スポーツ紙記者)

実家は20年も放置されて

 石原プロ解散以降は、どの事務所にも所属せず、フリーランスとしてひとりで活動する道を選んだ神田。俳優業もそのまま引退状態に。

“セリフが覚えられないから、もう俳優はやらないんだ”って。ここ数年、台本を覚えるのにだいぶ苦労していたそうでね。いまの仕事は長年続けている情報番組『朝だ! 生です旅サラダ』の司会だけです」(テレビ局関係者)

 あれだけキャリアのある俳優。「もったいない」という声も多いのだが、

神田さん本人は“もうお芝居にもドラマの世界にもまったく未練がない”って。過去は振り返らないというか、あっさりしているというか」(同・テレビ局関係者)

 好きな仕事だけをひとりで自由気ままに、プライベートも聖子と離婚以来、独身生活を謳歌─悠々自適な日々を送っているように見える神田だが、長年ある“頭痛の種”を抱えていた。

実は神田さん、実家の処分に困っているんです。ほら、最近、東京なんかでも言われるようになってきた“空き家問題”を抱えちゃってね。お母さん……松竹少女歌劇団でも活躍した女優の旭輝子さんが亡くなられてから、その家をもう20年も、ずーっとほったらかしにしているそうで」(神田の知人)