目次
Page 1
ー “花の82年組”に埋もれた明菜
Page 2
ー “育ての親”が明かすの明菜の素顔
Page 3
ー 松田聖子の曲を披露した明菜
Page 4
ー 近藤真彦との一件から周囲と距離
Page 5
ー 実父が昨年暮れに入院していた

 今年、デビュー40周年を迎える中森明菜。5年前から、公の場にはいっさい、姿を見せていない。

 公式HPには、デビュー記念日となる5月1日からWOWOWで過去のライブ映像を放送することが告知されているだけ。

 なぜ、彼女は姿を消してしまったのかーー。

「彼女の歌を聴いたときは鳥肌が立ちました」

 そう証言するのは当時、レコード会社『ワーナー・パイオニア』で、明菜のプロデュースを担当した小田洋雄氏だ。

 明菜を初めて見たのは、桜田淳子や森昌子、山口百恵などを生み出した人気番組『スター誕生!』(日本テレビ系)だったという。

「決勝戦の前に、関係者だけで行われる下見で明菜を見たのが最初です。歌詞に対する理解度が深く、歌に説得力がありました。彼女が持つスター性と歌唱の表現力は別格。天性の才能を持っている15歳だと強烈に感じました」

 明菜は、1981年7月に行われた『スタ誕』の決勝で合格。芸能プロダクション『研音』に所属し、『ワーナー』と契約を結んだ。

“花の82年組”に埋もれた明菜

 1982年5月、ファーストシングル『スローモーション』でデビューを飾ったが、当初は思うようにいかなかった。

 日本歌手協会の理事長で音楽評論家の合田道人氏が語る。

「今でこそヒットした曲のように思われていますが、『スローモーション』のオリコンランキング最高順位は30位。新人にしては十分な結果かもしれませんが、そこまで爆発的なヒットではなかった

 アイドル豊作年である“花の82年組”のひとりとしてデビューした明菜の同期には、シブがき隊、小泉今日子、石川秀美、早見優、松本伊代など、そうそうたるメンバーがそろっていた。

「みんな、明菜ちゃんよりも先にデビューしていたこともあり、すでにすごい人気だったんです。後発で、楽曲がヒットしたわけでもない明菜ちゃんの存在は、埋もれてしまっていました」(合田氏、以下同)