津波で亡くなった娘の遺骨が見つかる奇跡

 具志堅さんが遺骨を捜す場所は沖縄だけに限らない。'22年1月、具志堅さんは正月休みを利用して、単身福島県の大熊町の帰還困難区域へと向かった。

 その地域では、東日本大震災の津波によって、父・妻・次女の家族3人の命を奪われた木村紀夫さんが、唯一遺体の見つかっていない次女の汐凪(ゆうな)さん(当時7歳)の遺骨捜索を続けている。

 '21年にフォトジャーナリストの安田菜津紀さん・佐藤慧さん夫妻によって、木村さんと引き合わされた具志堅さんは、迷わず協力を申し出て、福島へ駆けつけたのだ。

 元日に現地に到着、打ち合わせを終えた翌日の1月2日、具志堅さんが加わって本格捜索を開始した。すると、わずか20分後に、なんと汐凪さんの右大腿骨の大きな遺骨が見つかったのである。

 木村さんにとっては久々の愛娘の遺骨との対面だった。その瞬間、2人の顔には満面の笑みが浮かんだ。

具志堅さんとともに津波で亡くなった次女の遺骨を捜す木村さん
【写真】ハンストの場へ激励に来た玉城デニー知事

 具志堅さんは「よかったぁ」としみじみとした声を上げ、木村さんは手にした愛娘の大腿骨を愛おしそうにしばらく見つめ、「もっとここを重点的に捜さなくちゃいけないということだね」とつぶやいていた。

 具志堅さんに言わせると「これは父と娘が呼び合った結果だね。奇跡的ですよ」ということになる。だが、筆者から言わせると、具志堅さんが参加しなければありえなかった「奇跡」であり、具志堅さんの持っている「計り知れない力」に驚嘆する。

 この出来事の一部始終は、安田菜津紀さん・佐藤慧さんがYouTubeの動画レポートで配信している。それを見て筆者は、感涙にむせんでしまった。

 木村さんは東日本大震災で家族を失ったばかりか、福島第一原発事故により、その捜索も打ち切られてしまった。以後、避難先から自宅のあった大熊町に通い続けてきた。

 3・11から5年9か月後、汐凪さんの遺骨の一部が見つかったが、その場所は原発事故で汚染された土壌を一時的に保管する『中間貯蔵施設』のあるエリア。周囲のほとんどの家庭が中間貯蔵施設の建設のため自らの土地を売却する中、地元で遺骨捜索を続けている遺族は、今では木村さんだけ。自分だけがわがままな行動を続けているのかもしれない……、そう思い、引け目を感じてきたという。

 そうした事実と心境を'21年の夏、沖縄で具志堅さんに会ったときに伝えた木村さん。

 すると具志堅さんは、即答した。

「引け目を感じる必要なんかありません。1人を大事にしない社会が、どうしてたくさんの人を助けることができますか。私はいつでも協力しますよ」

 そこから始まった2人の付き合いだが、その後、一層の信頼関係を築きつつある。

 木村さんは沖縄へ通って沖縄戦や基地問題について深く学ぶようになり、具志堅さんは今年5月のゴールデンウイークも丸々、大熊町での汐凪さんの遺骨捜索に費やした。

 筆者も5月の連休は、具志堅さんに密着取材をした。取材ではあるが、ささやかながら作業の助っ人役も務めさせていただいた。筆者だけではない。取材に来た新聞記者、フリーランスのライター、写真家らのほとんどが、自然と作業を手伝う格好になっていた。そうさせる力が、その場には満ちていた。

 5月の連休の実質丸4日間、みなが全力で遺骨捜索に取り組んだのではあるけれど、残念ながら、小さな骨のひとかけらも見つけることはできなかった。今回は、沖縄から「ガマフヤー」のボランティア仲間2人も具志堅さんに同行した。遺骨発掘の経験豊富な2人は、まさに本気で作業に取り組み、本当に残念がっていた。

 筆者ももちろん残念に思ったが、具志堅さんの次の言葉は、見事にわが胸にストンと落ちてくるものだった。

「汐凪さんの遺骨が見つからなくて、確かに残念ではあるんだけど、でも、これでいいんですよ。みんなが汐凪さんに近づこうと一生懸命に動きましたね。それが慰霊なんです。弔うって、そういうことだと思うんですよ」

 被災から11年、木村さんは真剣に思い詰めてきた。

「汐凪がいつもこう言っている気がするんです。“お父さん、私を捜して。ここで何が起きたのか、みんなに伝えて”と。だから、頑張らなくちゃと思ってきました」

 その木村さんが、遺骨捜索のために集った筆者たちを前に、笑顔で語った言葉も忘れられない。

笑顔を浮かべる具志堅さんと木村さん。お互い、交流と信頼を深めてきた 撮影/渡瀬夏彦

「こうやって、この場所で(捜索作業の参加者)みんなで笑顔で話もできるって、すごくいいな、と思えます」

 具志堅さんは言う。

「汐凪ちゃんだけではなく、津波で亡くなって、まだご遺体も遺骨も発見されていない方は多いですよね。

 それなのに、遺骨捜索もきちんとしないまま、東北地方のあちこちで巨大な防潮堤をつくってしまったり、嵩上げ工事で土砂を積んでしまったりしていますね。これはやはりおかしいと思います。個人の尊厳をないがしろにしたまま、それがはたして復興と言えるのか。

 ましてや、木村さんが暮らしてきた大熊町は、原発という国策による被害を受けた土地でもあります。その土地に放射能汚染物質の中間貯蔵施設が置かれ、そのために遺骨捜索ができなくなるというのは、やはり間違っていないでしょうか」