結婚号外が作られた新聞記者時代

大学卒業後の1986年4月、堂場さんは読売新聞社に入社した。
「当時、東京本社の記者には50~60人くらいの同期がいました。2週間の研修後、彼は新潟支局、僕は長野支局に配属になり、5年後に同じタイミングで本社の社会部に異動となり、彼は渋谷方面、僕は池袋方面の担当になりました」
そう話すのは、新聞社時代の同期で、現在はテレビ局勤務の寺内邦彦さん。
「その後、同じ時期に警視庁記者クラブに異動しました。彼の小説には捜査1課がよく登場しますから、『自分が担当した部署じゃなくて捜査1課のことばっかり書いて』と言ったりしましたね(笑)」
今でも印象深いのは警視庁記者クラブでのエピソードだという。
「警視庁記者クラブにはテレビと新聞を合わせて200人以上の記者が詰めており、読売新聞社の記者だけでも11~12人ほどいました。土曜日は閉庁日なのですが、なぜかうちの記者は記者クラブにいまして、昼飯に鍋を作って食べたりしていたんですよね。彼は非常に料理がうまく、鍋奉行でした。堂場君の小説にはよく料理や食べ物が登場しますが、本人が料理上手なんですよね」
寺内さんから堂場さんの意外な一面も教えてもらった。
「彼は茨城県、僕は栃木県と、魅力度ランキングで下位争いをする北関東の出身です。にもかかわらず、彼は洒落者でいろいろなことをよく知っているんです。警視庁記者クラブ時代に一緒に神田のそば屋に行ったとき、僕がそばをそばつゆにしっかり浸して食べるのを見て“粋じゃないな”と言われました(笑)。彼いわく、そばつゆに少しだけつけるのが江戸のそばの食べ方だそうなんです。バイクや車にも詳しくて、20代のころにはイタリア製のバイクに乗っていましたね」
また、長年の友人の福冨さんからは、最近の堂場さんの素顔を伺った。
「彼は自律性が高くストイックな面がありますが、やさしく情に厚いところもあるんです。少し前に一緒に食事をしたときには、“年のせいで涙もろくなったのか、朝ドラを見ると泣いちゃうんだよなあ”と話していました」
堂場さんがNHKの『連続テレビ小説』を見始めたのは2013年ごろからだそう。
「もともと映像作品はほとんど見ない人間ですが、ドラマの勉強もしようと思って『あまちゃん』あたりから朝ドラを見るようになりました。毎度泣いていますし、60歳を過ぎてからその傾向が加速したようです」
寺内さんも福冨さんも、共に堂場さんの結婚式に出席している。
「20代の後半に同期が相次いで結婚した時期がありまして、そのころに彼も僕も結婚しました。当時は結婚式があると、新郎新婦のことを記事風に書いた“結婚号外”を作ったりしていたんですね。彼の結婚式の結婚号外には、プロポーズのときに大きなバラの花束を持って行ったと書いてあったように記憶しています」(寺内さん)
「堂場さんの結婚号外に大学時代のエピソードを寄稿しました。出席者には立派な結婚号外が配られて、さすが新聞社だなあと思いました」(福冨さん)
プライベートなことをあまり話さない印象のある堂場さんだが、言葉の端々から奥様との関係が垣間見られる。
「夕食は妻と一緒に作ることが多く、煮方は妻、焼き方は僕という具合に役割分担ができています。年齢的なこともあって塩分に気をつけているのですが、僕が作るとなぜか塩けが強くなったりするんですよね。だから、できるだけ塩分を少なめにして代わりにレモンを多めに使ったりしています。うちはレモンやポン酢の消費量がやたらと多いんです(笑)」
女性にとって、夫婦に関する堂場さんの考え方は理想の夫像に近いかもしれない。
「基本的に男が弱いということにしておくと、ほとんどの場合は世の中が丸く収まると思うんです。妻が愚痴をこぼしたときには、“そうなんだ、大変だね”と相槌を打ちながら聞いています」