小説を書くために感情をフラットな状態に保つ
堂場さんはデビュー後、約12年間は小説家と新聞記者の二足のわらじを履き、2012年に専業作家となった。
「今の環境を手に入れるために会社を辞めました。お酒もやめたし、人間関係も整理して本当に親しい友人とだけ付き合っているような感じです」
趣味や息抜きについて何かあるかと質問したところ、「何もないかも」という答えが返ってきた。
「楽しいことも悲しいこともできるだけ起こらないようにして、感情をフラットな状態に保ちたいんです。なぜかというと、感情がフラットでないと小説は書けないから。例えば、登場人物の中に気に入ったキャラがいた場合、退場させざるを得ないときに悲しくなってしまう。だから登場人物とも作品とも距離を置いて書いていきたいと思うんです。とはいうものの、いまだに小説の書き方をよくわかっていないんですけどね」
これまで生み出し続けてきた200作近い小説の中には、堂場さん的にイレギュラーな作品もある。
「警察ものやスポーツものなど、僕の小説を読んでくださっている人が期待しているものとは違う、“変なものを書いたなあ”という感覚の作品もあるんです」
具体的に挙げてもらった作品のひとつが『ルーマーズ 俗』。人気俳優の心中疑惑のニュースを軸に、マスコミが発信する情報やSNSの書き込みのみで構成された長編小説だ。
「よくこんな作品を書けたなあと思います。売れるかどうかもわからないこういう変な小説を書かせてくれる限り、日本の出版社はまだまだ大丈夫だと思っています。ただ、好き勝手に書かせてもらった後には、ある程度の売り上げが予測できるものを上納するんですけどね(笑)」
堂場さんは現在、小説の執筆をきっかけに出合ったあるモノについての企画を温めているそうだ。
「今書いている小説の中に山梨が出てくるんです。山梨には、ご飯の上にトンカツやキャベツの千切り、トマト、ポテサラなどがのり、自分でソースをかけて食べるカツ丼があると聞き、登場人物に食べさせたいと思ったんです。実際にはどんな感じだろうと思って山梨まで食べに行ったら、トンカツ定食がそのまま丼にのったようなカツ丼が出てきてびっくりしました」

堂場さんは過去にもカツ丼でカルチャーショックを受けた経験がある。
「新聞記者時代に新潟のお店でカツ丼を頼んだら、醤油だれに浸したカツをのせただけのものが出てきたんです。卵でとじたカツ丼しか知らなかったものですから、非常に衝撃を受けました。こうした経験から、日本各地のカツ丼を食べてレポートする“日本カツ丼紀行”という企画を実現したいと思っているんです」
創作活動50年を迎えたら辛口海外ミステリ評論家へ

堂場さんの唯一の趣味ともいえるのは、10代のころから親しんでいる海外ミステリを読むことなのかもしれない。海外ミステリ愛が高じ、昨年は翻訳家としてデビューした。
「海外ミステリを専門に読んできたことが自分のベースになっていると思うんです。何とか恩返しをしたいと思い、去年は翻訳にも挑戦しました」
翻訳したのは警察小説の巨匠エド・マクベインの『キングの身代金』。この翻訳本に関して、前出の福冨さんは次のようなエピソードを語る。
「僕の父は直井明という名で海外ミステリ研究家として活動していました。父は『87分署』シリーズのエド・マクベインのファンでしたから、堂場さんが警察小説という分野を継承し、牽引してきたことがすごくうれしかったようです。彼と父は直接、交流するようになりました。『キングの身代金』の翻訳を手がけることを知ったときも父はとても喜んでいましたし、その新訳本の解説を執筆させてもらったんです。父は今年の初めに他界したのですが、その解説が活字となった最後の原稿でしたから、棺桶に本を納めて送りました」

今作の『ポピュリズム』では政治を描き、映像化もされている「刑事・鳴沢了」シリーズや「警視庁追跡捜査係」シリーズなど多くの警察小説を手がけ、スポーツ小説も上梓し、さらにはカツ丼にも熱い視線を注いでいる。堂場さんの作品のすべてに共通するものは何なのだろうか。
「それが、定かではないんです。いまだに自分で自分の作品がわかっていないんですよね。もちろん、これから先も書きたいものはたくさんあります。でも、トータルでの作品群がどうなっていくか、イメージもなければ予定もないんです。結局、作家としての僕の存在というのはどうでもいい。作品さえ残っていれば、それでいいんです」
作品に関していえば、『ポピュリズム』で描かれた世界の続きが気になるところだ。
「建物でいえば『ポピュリズム』は階段の踊り場のような位置づけです。2階にあたる部分の話はもう固まっているのですが、ちょっとシビアな内容なので書くのが怖くて、けっこうビビってます(笑)」
最後に今後の目標を尋ねたところ、思わぬ答えが返ってきた。
「目標は立てないようにしていまして、これからも書きたいことを書いて淡々と生きていきたいと思っています。僕は37歳でデビューしているので、87歳で創作活動50年になるんですよね。87歳になったら小説家は引退して、本音で語る辛口の海外ミステリ評論家になろうかな」
<取材・文/熊谷あづさ>