会議の時間を忘れ、顧客の好みも忘れ……

認知症と診断された翌年の'19年。蓮さんと次男・修矢さんとの3ショット
認知症と診断された翌年の'19年。蓮さんと次男・修矢さんとの3ショット
【写真】認知症と診断された翌年、子どもたちとの3ショット

 しのぶさんが、「あれ? おかしい」と思い始めたのは、'16年のころのことだった。

 当時、高校生だった長男・蓮さんがアメリカに短期留学していたので、内緒で渡米して驚かせようとした。アメリカでは楽しく過ごしたが、帰国した直後から身体がだるく、頭がぼんやりしている。例えば朝10時に待ち合わせ場所に行くには、何時に起きて何時に家を出るというような逆算が難しくなった。時差ボケだろう、寝たら治るだろうと思ったが、いくら寝ても良くならなかった。

 それどころか、水道の蛇口を閉め忘れたり、当時は携帯電話販売会社で働いていたが、会議の時間を忘れたりすることも何度かあった。

 しのぶさんは法人営業を担当していて、会社を訪ね、何げない会話の中から、機種変更のニーズを探ったり、業務効率が上がるシステムを提案したりする仕事だった。

「お客さんのことが大好きだから、以前は好きなスマホの機種や色、好きなケースやアプリなどは頭に入っていたんです、メモなんかとらなくても。ところが思い出せなくなったんですよ。機種名さえも出てこなくなって」

 自宅でも「おかあ、また約束忘れちゅうで」と言われることが増え、三男を30分早く小学校に送り、校門が開くのを待ったこともあった。

 不安が募り、脳神経外科で診てもらった。MRIなど複数の検査を受けたが、「(65歳未満で発症する)若年性認知症ではない」と診断。ただ、渡された書類には「境界線です」と書かれていた。

 それ以降も物忘れは続いた。冷蔵庫に買った覚えのないものがあったり、冷蔵庫にあるのに同じ食品を買ったり、ネット通販で買ったのを忘れ、送られてきた商品に驚いたり。

 再受診のきっかけは、テレビドラマを見ていたときだった。'18年秋に放送された『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)─戸田恵梨香演じる医師が若年性認知症になり、小説家の彼(ムロツヨシ)が10年にわたって支えるラブストーリーだ。

「一緒にドラマを見ていた蓮が言ったんです。“おかあ、この主人公と絶対同じ病気やき、病院に行って”と。自分の症状に似ているなという感覚はあったんですが、やっぱりそうなんやと」

 今度は認知症専門クリニックを受診した。診断は「若年性アルツハイマー型認知症」。ショックで頭の中は真っ白に。傍らで説明を聞いていた母親も自分のことのように衝撃を受け、帰りの車の中でずっと泣いていた。

「ごめんね、こんな身体に産んでしまって。お母さんやったらよかったのに、代わってあげたい」

 それに対ししのぶさんは、

「そんなふうに思わんといて。お母さんやなくてよかった。忘れられるほうがつらいき、私がいい」

 言いながらわんわん泣いた。

 高校を中退したりして親に心配をかけることが多かった。ようやく親孝行ができる年齢になったと思っていたら、またしても泣かせている自分が情けなかったのだ。

 息子たちにもすぐに診断結果を報告した。すると蓮さんは「診断されたのは仕方ないきね」。次男の修矢さんからはLINEで「認知症に負けるな」という応援メッセージが送られてきた。