目次
Page 1
ー 芸事はずっと続けてきた
Page 2
ー 相方がお笑いの道に進む気がなかった
Page 3
ー 美しかった“雅子お姉ちゃん”
Page 4
ー もう死んでもいいと思いました(笑)
Page 5
ー ギリギリで生きてましたね
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ー 検診の大切さをこれからも伝えます
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ー 多忙な日々をこなせるのは筋トレのおかげ
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ー 生き生きしている人の話を聞くのが励みに

 

 ビートたけしや明石家さんまなど、現在の大御所たちとともにブラウン管の中で暴れまくっていた女芸人。姉御肌としても知られる彼女の、強さと優しさの源とはーー。

芸事はずっと続けてきた

 再ブレイク。そんな言葉で数年前から脚光を浴びているのがタレント・山田邦子
だ。

 '80年代から『オレたちひょうきん族』『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(共にフジテレビ系)など数多くのバラエティー番組で活躍し、“天下を取った唯一の女性芸人”と評される。

 しばらくの間、テレビで見かける機会は減ったが、2022年に『M―1グランプリ』(テレビ朝日系)の審査員を務めたことから、再びテレビの世界で存在感を増していった。

テレビに出ていなかっただけで、舞台に出たり、長唄をやったり、芸事はずっと続けてきたんですよ

 山田はそう話す。

 『M―1グランプリ』での審査が話題になり、山田のこれまでの活躍を知らなかった若い世代の間でも知名度が急上昇した。

 バラエティー番組に出演することも増えたが、どんな番組に出ても、視聴者を楽しませるトークと大御所ならではの安心感は健在だ。山田は65歳にして2年連続“前年比300%”の忙しさだという。

もう年だし楽しい仕事だけやろうと思うんですけど、面白いオファーばかりだから全部受けちゃうんです

 デビューから45年、「一人でも多くの人を笑わせたい」という思いは変わらず、根っからのコメディアンとして君臨する山田。

 これまでの芸能人生では、バッシング報道や乳がん、親族の借金返済といった逆境も経験したが、苦労をあまり語らないのは江戸っ子気質なのかもしれない。

 ビートたけし、明石家さんまを筆頭に、シニア世代に突入した大御所芸人の一人として、山田はこれからどこへ向かっていくのか。

 昭和から令和までの人生を振り返ってもらった。山田は1960年、東京の下町で生まれ、両親、兄、弟に囲まれて育った。小さいころからふざけて周りを笑わせるのが大好きだったという。

小学校4年生ぐらいからギャグを作ったり、ものまねをしたり。下町だったから演芸場も多くて、芸人さんがその辺をうろうろしていたけど、学校で人気者だった自分も芸人さんたちと同じ立場なんだと勘違いしていました

 中学からは川村学園に進学したが、そこはお嬢様学校。車で登校するようなクラスメートに最初こそ戸惑ったものの、すぐに面白いキャラクターで学園の人気者になった。ファンクラブもできるほどの有名人だったという。