今も「アシスタントが本命」

 そんな2人だが、ベースには「リスペクト」がある。

 まさるさんが、まさみさんから学んだことで、まず挙げたのが、「度胸」である。

「俺は石橋を叩いて渡るタイプなんだ。でもまさみちゃんは、思ったら一気にやるからね。人には一生の間にチャンスは3回巡ってくるといわれるけど、大切なのは来たときにパッとつかむことだね」

 料理も日々、まさみさんから学んでいるという。味で対立することはあるが、いいところはどんどん盗んでいる。「俺たちの若いころは、“仕事は盗め”と言われたもんだよ。鉄鋼会社に入ったとき、若い社員にあれやこれや偉そうにされながらも教えてもらったのは、そのほうが身につくし、結局得だからね。相手が女性であっても同じ」

 一方のまさみさんが、まさるさんから教わったことでいちばん大きいのは「人としゃべるとき、壁をつくらない」こと。

「裏表がないんですよ。だから、みんな“まさるさん”“お父さん”と、人が寄ってくるんじゃないですか」

 そして冒頭でも書いた「気力」と「記憶力」。まさみさんは、こうした能力を保つ秘訣は「仕事」を続けていることだと思っている。

「例えば、北海道旅行でしばらく仕事を離れて東京に帰ってくると、反応が鈍くて、なんか年とったなと思うことがあるんです。でも仕事をすると元に戻ってくるから、あえて買い物などをお願いする。私はお父さんの“パーソナルトレーナー”かもしれないですね」

 知れば知るほど、2人は最強の嫁舅コンビに思えてくる。まさるさんは、まさみさんのアシスタントをやるようになって、自身も料理研究家になった。一方のまさみさんも、まさるさんと一緒にメディアに出ることで、ほかの料理研究家にはないものを得た。まさみさんが言う。

「自分の売りや強みがなんなのかも定まらなかったので、1人で仕事をしていたら、早くから雑誌やテレビで取り上げられる機会も少なかったと思いますし、名前すら覚えてもらえなかったかもしれません。一緒に働いてなければ今の私はないと思っています」

 さて、まさるさんは将来をどうイメージしているのか。

「身体の動く限りは、アシスタントをやっていくつもりだよ。まさみちゃんが“はーっ”と言えば“ほーっ”と返してくれる人がいつもそばにいるのはやりやすいと思うよ」

 当初はスーパーで買い物をすると貯まるポイントがまさるさんの“収入”だったが、ほどなくまさみさんの会社から給料をもらうことになった。

 それにしても、これだけ料理研究家として知られるようになっても、「自分の仕事の本命はアシスタントだ」と答えるところが面白い。

「2番目は料理研究家、自分に対してのサービスだな。ユーチューバー、それは3番目でいいんじゃない(笑)」

 まさみさんも、まさるさんには身体が続く限りずっと横で働いてほしいと言う。

「冗談でよく言うのは、立てなくなって車椅子になったら流しの下をリフォームして、車椅子が入る仕様にするからって。洗い物できますから。そうして自分のやることがあったほうが生きている実感を得られると思うんです」

 まさるさんは元気そうに見えるが、同居を始めて以降3回ほど、狭心症の発作で救急搬送されている。史典さんは「1人で田舎暮らししていたら、もうこの世にはいないよ」と言うが、本人としては、選んだ道が正解だったのか、まだわからないと言う。

「魚を釣ったりして遊んでたほうが楽しかったのかなってね。今は少しは有名になって、料理研究家に毛の生えたような仕事もして、少しは金も入るようになった。どっちがよかったのかなあ。死ぬまでわかんないんだろうけど、わかんなくていいのかな」

 そう言って愛犬ヴァトンにいたずらっぽく目配せをした。

<取材・文/西所正道>

にしどころ・まさみち 奈良県生まれ。人物取材が好きで、著書に東京五輪出場選手を描いた『五輪の十字架』など。2015年、中島潔氏の地獄絵への道のりを追ったノンフィクション『絵描き-中島潔 地獄絵一〇〇〇日』を上梓。