目次
Page 1
ー “燃える闘魂”の異名で日本中を席巻したアントニオ猪木の弟 ー 11人きょうだい・大家族の末っ子
Page 2
ー ブラジル移住、裕福な生活から苦役へ ー 過酷な労働で手に入れた肉体
Page 3
ー スターになった兄の帰省が転機に ー 義姉・倍賞美津子と兄の偉大さ
Page 4
ー 「猪木兄弟」の天下獲りの物語
Page 5
ー 夢の事業、大失敗の果てに決意
Page 6
ー 奇跡の再会、最後のタッグ

 

 今年、2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、仲野太賀演じる、太閤秀吉の弟・豊臣秀長を主人公に、兄弟がいかに戦国乱世を生き抜き、天下人に上り詰めたかを、弟の視点で描く一風変わった太閤記である。

“燃える闘魂”の異名で日本中を席巻したアントニオ猪木の弟

「株式会社猪木元気工場(IGF)」の代表取締役社長を務め、AI事業などにも力を入れる(撮影/近藤陽介)
「株式会社猪木元気工場(IGF)」の代表取締役社長を務め、AI事業などにも力を入れる(撮影/近藤陽介)

 ここに紹介する兄弟の関係性は、豊臣兄弟と相似している。“燃える闘魂”の異名で日本中を席巻した兄、プロレスラー、アントニオ猪木と、その兄を支え続けた弟の啓介。いわば「猪木兄弟」だ。

 昨年で喜寿(77歳)を迎えた啓介は、兄の面影を残した表情で往時を振り返る。

「兄貴が新日本プロレスを旗揚げしたとき、私も入社しました。でも『俺は猪木の弟だ』って殊更に言わなかった。目立ちたくなかったし、兄貴もそれを望まなかった。だから、私のことを弟だと知らない人が大勢いたんです」

 希代のプロレスラー、アントニオ猪木について、今さら説明の必要はないだろう。ジャイアント馬場とのコンビで人気を博し、スタン・ハンセンやハルク・ホーガンと激闘を繰り返し、ボクシング世界ヘビー級王者、モハメド・アリとも戦った。また、参議院議員として国政を舞台に活躍。「1、2、3、ダーッ」で波瀾万丈の生涯を生きた、文字どおりのスーパースターである。

「でも、私にとってはスターである前に兄。唯一の弟ですからね。人には言えないことを明かされたり、頼み事の多くも必ず私に。『おまえがやれ』って何度言われたか(苦笑)」

 その兄が2022年に他界すると、啓介の立場は激変。「猪木の弟」として後始末を託された。式典やイベントを取り仕切り、マスコミに幾度となく登場。陰の存在から一転、表舞台に立つようになる。

 そんな彼の視点から“太陽と月”のような「猪木兄弟」の数奇な歴史を追ってみたい。

11人きょうだい・大家族の末っ子

1953年、横浜で生活していた当時の猪木家。後列左より4男・快守さん、3女・京さん、6男・寛至さん、母・文子さん、祖父・寿郎さん。前列左より啓介さん(5歳)、4女・佳子さん
1953年、横浜で生活していた当時の猪木家。後列左より4男・快守さん、3女・京さん、6男・寛至さん、母・文子さん、祖父・寿郎さん。前列左より啓介さん(5歳)、4女・佳子さん

 猪木家は横浜市鶴見区に根を下ろす大家族だった。

 父・佐次郎の先妻の子も含めて11人きょうだい。啓介は最も下の7男で、のちにアントニオ猪木となる兄・寛至は、啓介より5歳上の6男となる。

 しかし、啓介に父の記憶はない。誕生した翌日に心筋梗塞で急逝しているのだ。よって、母方の祖父と、15歳上の兄・寿一が父親代わりだった。

「ウチは大家族だったけど、暗い人間は誰もいない(笑)。もしかしたら、寛至兄貴がいちばん内向的だったかもしれない。子どものころ、身体が大きくて、嫌な思いもしたらしいから」

 そんな兄は、啓介にだけ「将来はオリンピックに出る。それで有名になってプロレスラーになりたい」という胸に秘めた夢を打ち明けていた。

「兄貴は中学のころから砲丸投げをやっていて、よく練習に付き合いました。私は飛んだ距離を計測する係。ランプを持たされて、暗くなるまでやる。おふくろが『いいかげんにしなさい』って呼びに来ると、いつもホッとしてました(笑)」

 兄弟がプロレスと出合ったのもそのころだ。

「隣の家が電機メーカーの技師で、自作のテレビを置いてたんです。プロレスの時間になると、菓子折りを持って家族全員でお邪魔する(笑)。当然、力道山の応援ですよ」

 そんな、猪木家の横浜での生活にも突如、終止符が打たれた。一家総出でブラジルに移住することになったのだ。